今回は、キーワードの“鬼”からめて「鬼門」について、その起源と霊的背景をたどってみたいと思います。
実はこの鬼門という概念、現代では家相や方位学として知られていますが、そのルーツを辿ると、古代中国の道教的世界観と深く結びついています。
とりわけ、古典『山海経』や『論衡』に記された「度朔山(どさくさん)」の神話は、鬼門という概念がどのように生まれたかを知る上で、非常に重要なカギを握っています。
度朔山──霊界と現世をつなぐ門
古代中国の神話によれば、東の海のかなたにそびえ立つ霊山──度朔山には、天をも貫くような一本の巨大な桃の木(蟠桃とも呼ばれる)が生えていました。
その枝は三千里にも及び、東北の方角へと大きく張り出した一枝は、まるで“門”のような形を成していたのです。
この枝が示していた方角──東北こそが「鬼門」と呼ばれるようになった理由です。
そこは、この世とあの世、現実と霊界とをつなぐ通路。
道教の世界観において、霊的な存在が出入りする霊的ゲートとされてきました。
神荼と鬱壘──門を守る神々と道教的霊性
鬼門には、ただ霊たちが自由に出入りしていたわけではありません。
そこには神荼(しんと)と鬱壘(うつりつ)という二柱の神が立ち、悪しき霊が現世へ侵入するのを見張っていたと伝えられています。
彼らは、道教において正義と秩序を象徴する存在とされ、悪意ある鬼を見つければ、葦縄で縛り上げ、神虎に喰わせて浄化させたと記されています。
この“鬼を封じる儀式”の発想は、のちの道教儀礼や、さらには日本の節分や家相にまで影響を与えることになります。
黄帝の命──鬼門封じのルーツ
この神話を知った伝説的な聖王・黄帝は、人々を鬼の害から守るために、次のような命を下したとされます。
「門に桃の木を立て、神荼と鬱壘、そして虎の絵を描き、葦縄を結びなさい。そうすれば邪なるものは入ってこれぬ。」
これこそが、桃符(とうふ)──桃の板に神々の絵を描いて門に掲げる風習の起源です。
ここから“鬼門を封じる”という文化が生まれ、霊的な結界を張る術として広く定着していったのです。
鬼門の知恵、日本へ──陰陽道と家相の影響
この道教的な「鬼門封じ」の考え方は、日本に渡ってからも大きな影響を与えました。
陰陽道では、東北を“鬼門”、南西を“裏鬼門”として特別視し、平安京の造営では比叡山延暦寺を鬼門封じの結界として配置したと伝えられています。
京都御所では鬼門の方角に“猿ヶ辻”を設け、神猿(まさる)を祀ったのも、「魔が去る=まさる」という言霊的な智慧の応用です。
こうした文化は、古代から続く霊的知識の継承だったのです。
スピリチュアルに読み解く「鬼門」の本質
鬼門とは単なる方位ではありません。
それは、内なる闇と光を分ける、魂の通路を象徴するものでもあります。
東北という方角が、太陽の昇る東と、寒さと陰が深まる北の交差点であるように、私たちの心もまた、陰と陽の狭間で揺れ動いています。
だからこそ、心の鬼門にこそ神荼と鬱壘のような“霊的番人”を置く必要があるのです。
「鬼門」とは、外界からの災厄を防ぐ結界であると同時に、私たちの心の内側にある“通路”を見つめる鏡でもあります。
神荼と鬱壘のように、あなたの内にも、光と秩序を守る力が秘められています。
怒りや嫉妬、迷いや恐れといった「内なる鬼」が顔を出しそうなときこそ、心の門に意識を向けてみましょう。
今、あなたが立っているその場所が、見えない門であり、
そしてあなた自身が、その門を守る“霊なる番人”なのです。
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