もちろん人生のすべての問題が対人関係に限るわけではありませんが、実際に多くの人が他者とのやりとりの中で心を悩ませ、エネルギーを消耗していることは否定できない現実です。
その根底には、「物の見方の違い」が横たわっています。
私たちは、同じ出来事を見ても、まったく異なる感じ方や受け取り方をします。
これは人それぞれに育ってきた背景や価値観、魂の学びの段階が違うからであり、当然と言えば当然のことなのです。
しかしこの違いが理解されないと、意見は食い違い、衝突し、時に争いへと発展していきます。
家庭での小さな口論から、国家間の戦争に至るまで、その多くは「相手が自分とは違う見方をしている」ことを認められないことから始まっているのです。
この「見方の違い」を象徴する寓話として、「群盲象を評す」という話があります。
目隠しをされた人々が象の一部を触って、それぞれが「象とは何か」を語るのですが、鼻を触った人はそれをホースのようなものだと言い、耳を触った人は団扇のようだと言い、足を触った人は丸太のようだと言います。
誰もが嘘をついているわけではありません。
触れた部分については、それぞれ真実を語っているのです。
けれども、その一部分しか知らないにもかかわらず、「自分だけが正しく、他の人は間違っている」と思い込んでしまうと、そこに不和と争いが生まれます。
これは、私たちが日々の生活で陥りやすい大きな落とし穴でもあります。
政治の世界、宗教、教育、家庭、職場、どんな場面でも「自分の視点こそ真実である」と盲信することで、人は相手の正しさに目を向けることができなくなってしまいます。
自分の理解の枠を超えたものに出会ったとき、それをすぐに「間違っている」と切り捨ててしまう。
この反応は、人類が魂の進化の過程で何度も繰り返してきた「学びのテーマ」なのです。
ではどうすれば、人間関係の不和を越え、真の調和へと歩み出せるのでしょうか。
それは、「相手の中にある正しさを見ようとする意識」を持つことに尽きます。
正しさとは、一面だけのものではありません。
むしろ真実とは、複数の視点が重なり合った先に浮かび上がる、多面的な光のようなものです。
人はそれぞれに違ったレンズを通して世界を見ており、その違いこそがこの世界の美しさを生んでいます。
たとえば、知性に優れた人は論理的な理解力に長けていますが、時に感情や他者への共感が希薄になることがあります。
一方で、感性が豊かな人は、深い愛情や繊細な心の機微を受け取る力を持っており、文学や芸術に触れることで魂が震えるような感覚を味わうことができます。
社交的で外向的な人は、多くの人とつながりを築くことが得意ですが、内向的な人のように静かな時間を大切にし、深い洞察を持つことには慣れていないかもしれません。
逆に、内向的な人から見れば、外向的な人は軽率に見えたり、無神経に感じられることもあるでしょう。
けれど、どちらが正しいということではないのです。
それぞれが持つ資質は、相互に補い合い、支え合うためにあるのです。
私たちは違うからこそ、学び合い、成長し合えるのです。
一つの物差しだけで人を測る社会は、やがてバランスを失い、壊れていきます。
知性ばかりを重視すれば、感情や思いやりが失われ、冷たい合理性ばかりの機械的な社会となります。
逆に感性ばかりを重んじれば、方向性や秩序を失い、社会の進歩が止まり、混沌としてしまうかもしれません。
だからこそ、私たちは互いの違いを尊重し、多様性の中にこそ真の豊かさがあるという真理に目覚めていかなくてはなりません。
「自分は正しい。相手は間違っている」
この単純な二元論のフィルターをはずして、相手の中にある光を見つけていくことが、魂の成熟につながっていきます。
この世界は、一人ひとりの違いによって美しく調和の取れた一枚のタペストリーを織りなしているのです。
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