今日はフジコ・ヘミングさんについて追悼の意味も込めて取り上げてみたいと思います
父親はスウェーデン人画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミングさんで、母親は日本人ピアニストの大月投網子さんのもとに生まれています
誕生はヴァイマル共和政下のドイツ、ベルリンだったそうです
国籍はスウェーデンですが長らく無国籍の状態が続いていたそうです
5歳で日本に移住しますが、父親は日本に馴染めず、家族3人を残しスウェーデンに帰国してしまいます
以来、母と弟と共に東京で暮らし、5歳から母:投網子の手ほどきでピアノを始めます
子供の頃からピアノの才能を発揮し、青山学院緑岡尋常小学校3年生の時にNHKラジオに生出演 し、天才少女と騒がれたそうです
終戦後、青山学院高等部に在学中、17歳で、デビューコンサートを果たされます
東京藝術大学在学中には、新人音楽家の登竜門であるNHK毎日コンクールに入選をはたし、翌年には第2位に入賞、さらに文化放送音楽賞など多数の賞を受賞しました
藝大卒業後、本格的な音楽活動に入り、日本フィルハーモニー交響楽団など多数のオーケストラと共演します
かねてよりピアノ留学を望んでいたのですが、パスポート申請時にご自身が無国籍であったことが発覚します
なんとか留学の機会をうかがっていましたが、1961年に、西ドイツ大使の助力により、西ドイツ赤十字社に認定された難民として国立ベルリン音楽大学へ留学を果たしました
同大学を卒業後は、ヨーロッパに残って各地で音楽活動を行うも、大変な貧困状況が続いていたそうです
フジコ氏は「この地球上に私の居場所はどこにもない、天国に行けば私の居場所はきっとある。」と自身に言い聞かせていたと話している。
ようやく作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナに才能を認められ、彼のソリストとして契約することが出来ました
これでピアニストとしての成功の道を歩もうとした矢先、リサイタル直前に風邪をこじらせ聴力を失うというアクシデントに見舞われてしまいます
原因は貧しくて、真冬の部屋に暖房をつけることができなかったためとの事です
既に16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていたそうなのですが、この時に左耳の聴力も失ってしまいました
これでやっとの思いで掴んだ大きなチャンスを逃してしまいます
失意の中、ストックホルムに移住し、耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得て、以後はピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続けます
母の死後、1995年に日本へ帰国し、母校東京藝術大学の旧:奏楽堂などでコンサート活動を行います
そして1999年2月11日、NHKのドキュメント番組『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映されて大きな反響を呼び、フジコブームが起こりました
その後、発売されたデビューCD『奇蹟のカンパネラ』は、発売後3ヶ月で30万枚のセールスを記録し、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなります
彼女の波瀾万丈の人生はテレビドラマ化され、スペシャルドラマ『フジ子・ヘミングの軌跡』は20.1%の高視聴率を記録しました
フジコさんはとても愛猫家だそうで、お家にたくさんの野良猫だった子を飼っていたそうです
彼女の言葉として「私の人生にとって一番大切なことは、小さな命に対する愛情や行為を最優先させること。自分より困っている誰かを助けたり、野良一匹でも救うために人は命を授かっているのよ。」というものがあります
彼女の人生は逆境を乗り越えて成功され、人に勇気を与えるものですね
お亡くなりになられましたが、きっとたくさんの愛猫たちが迎えに来たことでしょう
フジコさんを見ていると修道女の姿が浮かんできますので、きっと西洋で生まれてきた事もあったのでしょう
そういう事で西洋との縁もあったのですね
多くの人と小さな生き物たちを音楽で楽しませてくれた彼女が光の世界へと帰られる事を祈ります
新刊『アースチェンジ——近未来の警告書』では、これから訪れる地球の変革について書いています
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ほぼ毎日、記事を配信し、満月には、仲間たちと一斉ワークを行っています。
入会された方の感想はこちらにありますので、参考にご覧ください。
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