旧統一教会の問題もあって、宗教そのものについても考える時期にあるように思います
はたして宗教とはどのような意味があるのか、霊的真理の視点から考えてみます
肉体に宿って地球での人生というのは霊的に見れば義務教育とたとえると分かりやすいかと思います
地上に生きる私たちはみんな義務教育の課程を学んでいるのです
そうして時期が来たら、光の世界に帰れるか、それとも落第して留年するかが分かれます
死というのは、例えれば義務教育の終了の時期で、どれほど小学校や中学校が好きだったと言っても、いつまでも義務教育のままでいられず、やがては進学か就職をしなくてはなりません
その義務教育の終了の時期というのが、人生の終わりの時であり、死期にあたります
そして人は肉体を脱ぎ捨ててから、次の進路への道を進むための試験を受けます
高校受験であったり、入社試験のようなものです
この死後の試験に受からなければ、浪人したりとか、ニートになったりするわけです
浪人やニートの状態というのが、まだ光の世界に帰れずに、未浄化なままの状態になっているという事です
無事に受験や入社試験に合格するために、義務教育のほかに、予備校や塾のようなものがあります
それが宗教と呼ばれているものと言えます
この世で生きることそのものが義務教育とたとえましたが、それだけでも受験に合格する人もいるでしょう
自分でも独学で勉強して受験に受かる人もいます
受験に受かるというのは、死後に無事に光の世界に帰られることをさします
ですが、この受験について受ける前に対策を取っていて、受験用に予備校などで学んでいれば、より受かりやすくなることも確かです
それが宗教の意味なのです
宗教に入って学ぶことで、魂の試験に無事に受かるようになるという意義があります
それは学ぶことで魂を向上させ、人格を磨いてこそ意味があります
もしも塾に入っても何も学ぶことなく、入ったことで安心していては、受験に寄与することもないでしょう
なかには優秀な塾に入っただけで、「自分はもう受かったのだ、入らない人は落ちる」と思っていると逆に転落に繋がります
宗教は教えを広めるために、「これに入りさえすれば受験に合格できる」と約束する塾のようになっていて、入りさえすればいいと誤解してしまっています
ですが、どの宗教であろうと、試験は公平に行われており、受かる人もいれば落ちる人もいるのです
ただ、独学で学んでいる人よりも、受験の対策が出来やすいので、真剣に学んでいれば合格しやすくなるのは本当でしょう
それには教えを学ぶことで、人格が向上し、魂が磨かれていく事が条件です
なかには心得違いをしている人もいて「この塾に入っている自分は偉いんだ。入っていない者は愚かな人々なのだ」と他の人を見下している人もいます
そうなるとかえって魂としては堕落してしまっている事になります
いくら優れた塾に入れたとしても、間違った方向に進んで行けば、受からないのです
宗教ではこれに入りさえすれば救われるとか教えていますが、実際にはそれは教えを広めるための方便で、入りさえすれば光の世界に帰れるというものはありません
この塾にさえ入れば、受験に必ず受かると宣伝しているようなもので、実際には受験生の努力次第なのです
いくら優秀な塾に入っても、そこで学びが進んでいなければ、合格もおぼつきませんし、なかには不合格になる人も出てしまいます
たしかにより高度な教えを説く宗教もあれば、初歩的な教えを説くところもあるでしょう
その塾のレベルの違いはあるでしょうが、それがイコール入れば合格できるときまっているわけではありません
あくまでそこに入ってどれだけ自分を磨けたのか、自身の努力次第になります
新刊『アースチェンジ——近未来の警告書』では、これから訪れる地球の変革について書いています
宗教の問題点(方便)、宗教に入っている人の問題点(優越感)
返信削除これほどにまでわかりやすい説明は初めて見ました
ありがとうございます。
これからも身を引き締めて、受験に合格できるよう頑張ります
エ○バの証人でも性虐待が数件あったみたいなので恐ろしいですよね
返信削除そんな話が蔓延している中で、例えば宗教活動など意志を貫き通すことは、自分の人生の核を考える事だと洸先生を見て思いました
宗教にも東大を目指す進学塾や、義務教育に上手く適応する為の補修塾などがあると思いますが、中には取り憑かれたら大変なことになる蜘蛛の巣の様な邪悪な偽物もあるかと思います。
返信削除注意すべき見分け方や例はありますか?
すいません、宗教の見極めについてはスクールで取り上げる予定です
削除関心のある方は入会を検討願います
本当に分かり易かったです
返信削除鳥肌が立ちました
塾の例えはとてもわかりやすかったです。
返信削除戦前の日本の教育にはそれらが組み込まれていたのかな?と思いましたがどうなんでしょうか。
今の教育では、道徳とか倫理といったものがその役目を担っているように見えますが、実際にはどうでしょうか。
塾ではなく義務教育に組み込んでそれを機能させるためには、それだけの精神性を持つ人の数が必要なのかな?と思いました。