今日は敬老の日という事で、老いについて考えていました
人は生まれてから成長し、やがては老いて死を迎えます
お釈迦様も生老病死の四苦が人生にあると説かれたように、どうしても老いは避けられないものです
年を取ってから身体が不自由になったり、いろんな病気が出てきてしまいます
「どうして自分だけが」と思う事もありますが、誰しもが老いや病の苦しみを経験するものです
そのように避けて通れない出来事も、自分には起こらないものと思ってしまいます
ですが老いや病気、そして死はやがてみなに訪れるものです
このように誰でも年を取っていくものですが、老いてから大切なのはやはり霊的な知識ではないかと思います
現代人は亡くなれば無になると思っている人も多くいます
あの世など信じず、唯物論で死んだら終わりだと考えています
ですがそうした人がいざ亡くなると、霊としてまだ意識がある事が信じられず、あの世へも旅立てず、この世に執着して地縛霊となってしまいます
地縛霊となるのは、あの世の事が分からず、この世しか考えない者や、この世の物に強い執着をしている者が死後になってしまいます
たとえば先程の唯物論者もそうですし、自分の家に執着してあの世に行けない者もいます
そして自分の家だとか、亡くなったところの病院だとかに居続けてしまいます
老いてくるとあの世に帰る準備期間に入ってきますので、やはりあの世の事、魂の真実について知っておかなくてはなりません
生きているうちに信じられなかった人が、死んだらすぐに受け入れる事はありません
やはり死後も頑冥にあの世を信じずにいます
人間の魂はこの世限りではなく、あの世とこの世を行き来している永遠の魂です
肉体を脱ぎ捨ててあの世へと帰り、本来の光の世界である魂の故郷にもどっていきます
そして時が経てばまた、すべてを忘れてこの世へと生まれ変わってくるのです
このように転生輪廻を繰り返しているのが私たちの魂の真実です
この世へは魂を磨き、魂の学びを行い向上させるために、一時の間だけ宿ってきます
魂にとってこの世は仮の宿なのです
この世で得た名誉もお金も、仮のものであってあの世には持って帰れません
魂の故郷であるあの世に持って帰れるのは、その人の魂だけなのです
どれだけ魂に学びを刻み、向上かせてきたかがあの世で測られます
人は老いるにつれてそうした霊的真実を受け入れ、理解していかないといけません
新刊『アースチェンジ——近未来の警告書』では、これから訪れる地球の変革について書いています
人は生まれ変わる度に新たな穢れ(カルマ)を魂にくっつけて、どんどん重たくなっていきそう。
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