先日、ジャニー喜多川の死後の様子について書いた記事で、いろいろと疑問や質問もありましたので、補足して書いてみます
まずジャニー喜多川氏の前世についてですが、こちらは彼が生前の時にすでにスピリチュアルスクールで書いていました
その時に書いた内容というのは、彼は身寄りのない子供などを引き取って、彼らに芸を教えて、曲芸などを見せて回る旅芸人の一座を率いていたというものです
ただ、それは表向きの働きで、裏ではその子供たちを権力者などに夜のお相手をさせていたという話でした
表向きは可哀そうな子供たちを引き取って養っている面もありましたが、裏では性的な被害に合わせてもいたのです
そのため彼には裏の面が相当ある事も感じ取っていましたし、それで問題点も指摘していたのです
そして彼の死後には不調和な世界に行かれている話を先日書きました
これについてあの世に行っても本人にとっては喜んでいるのではないかという話もあります
それは本当であって、たとえ不調和な世界に行かれた人であっても、その世界というのはその人の心境が作り出した世界でもあるので、その人にとっては居心地の良い世界ともいえます
たとえばドブネズミなどは暗くてジメジメした下水溝などに住んでいます
もし下水溝のふたを開けて光を当てたら、ドブネズミは慌てて逃げるはずです
ドブネズミにとっては暗くジメジメした場所が住み心地がよく感じています
彼らに光を当てると、むしろ怖がって逃げてしまいます
それと同じように、心の中に暗い面を色濃く持っていると、あの世でも暗い世界に落ちて、そこを居場所にします
彼らにとってはその場所が自分の心にあった住みやすい場所のように感じています
ですが、彼らの心には安らぎはありませんし、光との一体感をえる真の喜びを知りません
光の世界に帰った魂は、ほんとうに安らぎの中にあって、幸福感で満たされているのです
そうした光の世界の住人から見れば、暗い世界に生きている者たちは、まさに地獄のような世界に映ります
魂にとっては光の世界こそが真実の世界であって、闇の世界は本来の世界ではありません
しかし、その人の心境が住む世界を作りますので、闇の濃いものは光の世界が居心地が悪くて、闇の世界に引き寄せられます
そうして彼らにとって居心地が良いと思われる霊界に住んでいます
昔ながらに言われる、悪い人を苦しめ罰を与えるために作られた地獄とは違うのです
人々を罰するために地獄が作られ、悪い事をした人は地獄に落とされるというのは正確ではありません
その人の心が生み出した世界に住んでいます
ではまったく地獄のような場所はないかというとそれも実際にはあります
鬼のようなものが亡者を苦しめるという話を聞いた事があるでしょうが、そうした世界も確かにあります
それはその人の良心が苦しみを感じている姿なのです
良心というと抽象的な話になりますが、実は良心というのは、その人の魂の兄弟たちや守護霊の事です
地上の人間の所業に魂の兄弟たちが反応し、それが良心の呵責として生じます
するとあの世でも鬼の教官のような方に厳しい指導がなされます
何も苦しみを感じずに不調和な世界に住んでいる人の方が、地獄に行く人より良いのではないかと思うかもしれません
不調和な世界であっても本人の望む世界で居心地が良いと感じているのなら、そちらがいいように思うでしょう
しかし、地獄のような厳しい場所に行って、魂の修行を積めば、それだけ反省が出来て光の世界に帰って来れるのです
不調和な世界が居心地が良いと思っていると、ずっとその世界から抜け出せなくなるのです
ですが短期的にも厳しい世界に入る事で、魂を修正し、光の世界に帰っていきます
そのようにあくまでその人の魂に応じた霊界があります
新刊『アースチェンジ——近未来の警告書』では、これから訪れる地球の変革について書いています
11 件のコメント:
私はジャニーズのファンになったことはないです。AKB48などもそうですが、容姿の優れた人を集めてショービジネスをするということに弊害を感じます。外見至上主義を増長させる原因にもなっているのではないでしょうか。
良心が痛まないと地獄でも心地良く感じられて、良心が痛むと獄卒のようなのに責められる辛い地獄になるんですね。
現実で、悪いことばかり影でしても、運が良く幸せそうな人がいます。私は、不条理だなぁ‥神様は何してるんだろ‥と何とも言えない気持ちになっていました。
でも、それは良心の呵責を感じていないだけで、悪い状態なのかもしれないですね。
ひゃー!連投ありがとうございます。再度取り上げて頂きテンション上げ↑上げ↑になりました。もう、これはスクールに入るしかないっ!(>_<)ってもう何年も読ませて頂いてまだスクールに入る勇気がない私めをお許し下さい。本当はそろそろ入りたい気持ち(^-^)/
さて、今回の内容、う~~~んと唸りながら読みました!やーーー、難しい!一筋縄の理解では追い付かないですね。難しすぎる。ますます腑に落ちない!(T_T)
私は今、介護の仕事をしているのですが、灼熱の浴室でご老人を洗っていて、ぶっ倒れそうになりながら、時に地獄のようだと過るも、「この方が喜んでお風呂に入って下さってるから私は嬉しい」と思ったら天職に思え、やりがいがあり、いい仕事だなあ~と思っていますが、ご老人や家族からは、「よくやるなーこんな仕事」「大学出たのにどうしてこんな仕事してるの?こんな仕事しかなかった?」「熱くて汗とお湯でぐちゃぐちゃだよ大変な仕事」と言われても、私は楽しんでやってるので、つまり、今回の話と似てるなあ。本人が地獄と思えば地獄、地獄じゃないと思えば地獄じゃない。私はどぶネズミと同じかもってちょっと解釈がバカだから、ズレちゃう感覚になりました。
そんな話よりも、なんでなんでなんでが止まらない!なんで悪い事してる人が生まれ変わってもまた悪い事が許されるなんて!神様、そりゃないよお~。
ジャニー氏の前世を知っても、全く同情の余地なしで、どうしてまた同じことを繰り返せるのか神様の許しがあったのか納得いかないです!
それは私の学びが浅いからなんでしょうけど、皆さんはどうですか。
せいぜい、あのような人とは縁がないような人になる努力をするしかないですね。
以前こちらで紹介された映画の地獄が思い浮かびました。金も美女も欲しいままになる、が、誰かのために働くことをゆるされない。欲に溺れるままに居心地もよいかもしれない、反面、その世界ではゆるされないことや手に入らないことがあるのでしょう。死後の様子も、被告にとってはもしかしたら、人の姿のままで趣味嗜好にかなった人達に囲まれているように認識していて、おぞましい姿に変貌して不気味なものに倒錯していることに気づいてないのでは?と思いました。鏡で真実を見たらショックで魂が消滅しそう、恐ろしいです。
私はこの世に名もお金も地位も名声も作品も感動も人の記憶にも何も残らない、ただ「生きただけ」で消える。どうせ生きるなら、名か作品か功績か、生きた証や爪痕を残したかった。何もないどこの誰だか誰も知らない無名の虫けらできっと終わる。
一方、ジャニー氏は、あーんな酷い輪廻転生を繰り返していても、名もお金も地位も名声も作品も感動も人の記憶にも残る凄い人(裏で悪いことをしていたけど)!
どうして?
あー、もっと勉強しないとね。
つまり、日々生きていて上手くいかないことや、持病に悩んで来て、いかに自分にカルマというものがあって、なかなか幸せや思い通り行く事が許されないか思い知らされ、考えさせられ、ああ、そうか!私には過去生からのカルマ、因縁があって許されないんだ。罰を受けならが生きて修業してるんだ!だから諦めよう。。。過去生からのカルマ解消の為に生かされてるんだから仕方ない。と言い聞かせて生きているので、ジャニー氏は、過去生からのカルマなんて関係なく大成功したのが、不思議。過去生からのカルマもぶっ飛ぶ程良いこともしたってことかしら。マイナス→莫大なプラス→トータルプラス?
あ、最終的には今世ではマイナスかな?
そもそも私の学びが足りないのだと思いますが、思いをぶつけさせて頂きすみません。特に洪さんには、毎回読んで頂きありがとうございます。
私には持病があり、自分のしたいように生きれませんでした。それは、私のカルマのせいだと分かり、自分にあった修業なのでこれで良いんだ、仕方ないと自分に言い聞かせて、「カルマのせい」で諦めたり折り合いを付けて来ました。「自分のカルマってよっぽどやな」とろくでもない自分の低級魂や運や縁を憎んでいるところがありました。
だから、悪いカルマを持ったらアウトという概念が強かったので、悪いことしてのうのうと成功したり旨汁を飲み上手く行ってる人に怒りと興味があるんだな、と今回考えるに至れました。(めっちゃ、いやらしい人!)
そして、どこかでジャニー氏がうらやましいと思っている自分がいる。(私は女で同姓にも幼児にも興味はありませんよ)
ああ、なんか頭がパンクして来ました。もうちょっと、勉強しないと、ちょっと行き詰まってます。洪さんの教えがありがたいです。
メリー氏、ジュリー氏の前世なども気になります、、、。
とてつもない悪行とともに、とてつもなく沢山のタレントを、慕わせていくまでに育てるという善悪のパワーが相当だったのでしょうか。
結局、感謝の思いも相当浴びていたかたなので。
悪いことしないで生きていても、とりたてて善いこともしなければ、それはまたよろしくない、と古代霊言がいっていたのを思い出しました。
今回伺ったお話を自分なりに考えました。
居心地のいい地獄は、天国か?という問題ですが、そもそも天国とか地獄とかは快楽を基準にした考えで、大事なのは認識出来る世界の広さじゃないかなと思いました。
居心地のいい場所をぐるぐる回っているだけでは、退屈であまりうらやましいとは思えません。
責苦というより、牢獄のようなイメージでした。