西洋ではフロイトが、人間の心には潜在意識があり、それを学問的に探求しようとした人物と言われています
今日は仏教の唯識についてお話しします
唯識によると、あらゆる存在はただ八つの識によって成り立っていると言います
その八つとは以下のものです
まず人間の五感に相当する、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚があります
それに加えて私たちの表面意識があります
さらにその奥には、潜在意識のなかに、マナ識(末那識)とアーラヤ識(
阿頼耶識)があるとされます
阿頼耶識)があるとされます
五感と表面意識については説明しなくても分かると思いますので、その奥にあるマナ識とアーラヤ識についてお話しします
まずマナ識というのは、表面意識の奥にある意識であり、私たちが寝ても覚めても自分の事ばかりを考え、執着する心が、このマナ識だと言われています
マナ識の働きによって、私たちは自分というものに執着し、自分の事ばかりを考えるようになります
いわゆる自我の働きといってもいいと思います
私たちは自我の殻を被ることで、個として存在し、地上での体験をいたします
この殻がないと、地上では生きられないのです
そのため皆がマナ識という殻を被って生まれてきますが、この働きのために、いろんな苦しみも発生してきてしまいます
次に、マナ識のさらに奥には、アーラヤ識というものがあります
アーラヤ識は根本の識であり、この識によって前記のすべての識が発生してきて、肉体も生じてくると言われます
そして発生した識同士の相互作用によって、わたしたちは世界があると思い込んでしまいます
つまり唯識の立場にすれば、世界とは識が生み出した幻のようなものであり、難しく言えば「空」であると言います
このアーラヤ識には、過去に私たちが何かを行ったり、考えたりした事がすべて記録されて残されていると言われます
まるで動画を撮影しているように、すべての過去の記憶が残されているのです
その過去のデータが、世界を生じさせ、新たな思いと行為を生みだしています
みなさんはアカシックレコードというものを聞いた事があるでしょうか?
スピリチュアルに興味のある方ならご存知かと思いますが、宇宙の過去から未来まで、すべてのデータが記憶されている、膨大な宇宙記録だと言われています
このアカシックレコードにアクセスする事により、未来を予言したりするともいわれます
実はこのアカシックレコードには、宇宙全体を記憶する物と、個人のデータを記憶するものとがあります
個人のアカシックレコードというのは、その人が行った行為や、思ったこと考えた事のすべてが記憶されているものです
よく死ぬ寸前に、人生の記憶が走馬灯のようによみがえると言い伝えられています
これは一時的に自分の個人アカシックレコードにアクセスしたからです
死を前にして、そうした事がおこります
ちなみに、死後にその人の生前の思いと行いが、閻魔様のまえで、浄玻璃の鏡に映し出されると言われています
これはその人の持つ個人のアカシックレコードによって、生前の行いが再生されるのです
そうしてどのような思いと行いをしたのか、アカシックレコードにアクセスすると分かるようになります
この個人のアカシックレコードというのが、唯識で言われているアーラヤ識の事だと言えます
様々な過去の思いと行いが記憶されており、それが業となって、次の生まれ変わりや、人生を決めたりします
そのように未来をも生じてくるのです
さらに唯識では、これらの識も実体のないものだとして、すべては空であると説いています
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