日本人の多くにはこの世での利益や得する事、地上での幸せや喜びばかり求める傾向があります
神社に参拝に行っても、この世の利益を求め、欲を叶えてくれることろは無いかと探しています
スピリチュアルでもいかに楽して願いが叶うかばかり言っているのが人気です
もともと日本人にはこの世での得ばかりを求める傾向が強いのです
ですが、仏教などはむしろ、この世の欲を手放すように説いています
お釈迦様はこの世は苦界といって、苦しみの世界だと教えられました
この世は楽しい事、うれしい事もあって、幸せな世界だと思う方が良いように思われるでしょう
嫌な事や暗い事には目をそらして、明るい面だけ見ている方が、精神性は高いように思われています
ですが、それは間違いなのだとお釈迦様は教えられているのです
なぜなら、この世の喜びや幸せばかり求めていたものが、来世では苦しい世界に行くからです
この世での喜びを求めていた者は、欲界を転生することになります
この世で幸せだと思って求めてきた物には、苦しみの元になるものが多いのです
人間の魂はこの世ばかりではなく、来世にも続いていきますので、この世だけの幸せを見ていては、真の幸せを手に入れられないのです
お釈迦様は、この世の物は苦の原因だと悟り、執着を手放していく事で、清浄な世界に帰れると説きます
何でも願いを叶えてくれれば拝んでいれば、それは先日も述べたように魔であるかもしれません
楽して簡単に願いを叶えてくれるというのは、魔と契約している事にも通じるのです
昔から「触らぬ神に祟りなし」という諺がありますが、日本では神と崇められている存在は実は魔であったり、罰を与える様な祟る存在であったりします
現世利益と祟りというのは表裏一体であって、拝んでいれば利益を与えるが、ないがしろにすれば祟るという事と繋がっています
この世の物ばかり求めても、やがては苦に転じていきます
この世の春を謳歌しているような、楽の世界に生きるのも転落の道であり、来世の幸を求めて苦行をするのも同じです
苦行というのは、インドでヨガ行者などが、断食をしたり、水中にもぐったり、火の上を歩いたりなどの肉体を痛めつけるような行をしていたことを意味します
現代の日本人には苦行は無縁のように思えますが、心身の健康を損なうブラック企業に従事したりとか、あるいは自らの身体を傷つけるような自傷行為なども含まれるかと思います
苦と楽と、どちらにも偏らずに歩むという事で、苦楽の中道を説かれました
現代人はこの世の楽ばかり求めていますけど、それもまた極端であるのです
どちらにも偏らずに、来世にも通じる幸せの道を歩まなくてはなりません
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