「私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある」
この言葉はフランスの作家でノーベル文学賞を受賞したフランソワ・モーリアックの名言です
私たちの人生の価値は、自分でどれだけ努力したかによって決まるということです
何の努力もせずに得られたものほどむなしいものは無く、儚く消え去っていきます
努力して得たものほど、充実感や幸せを私たちにもたらしてくれます
たとえば一生懸命に努力して成果を出した時には、自分に誇りを感じますし、自信に繋がっていくでしょう
しかし、棚から牡丹餅で、何の努力もせずに手に入れた成果では、自分の人生の価値を高めず、次第に虚しさだけが広がっていくものです
昨日は楽して手に入れる系のスピリチュアルに忠告を書きましたが、どうして楽して手に入れたらだめなのか、疑問に思う人もいるでしょう
上記がその答えであり、あなたの人生を価値あるものとしていくためには、相応の努力が必要だからです
あなたは何の努力もせずに成果を得られた人を尊敬しますか?
たとえばスポーツ選手でも、生まれもっての才能で、何の努力もせずに優秀な成績を収める選手がいたとして、そういう人を好きになるでしょうか?
そうではなく、一生懸命に努力を重ねて、逆境を乗り越えてきた人こそ、人々から称賛されるはずです
実は高級霊と呼ばれる存在ほど、そのように地上の人間に頑張って成功していってほしいと願っています
いろんな試練や逆境を乗り越えて、価値ある人生を生きる事を願っています
一方で、低級霊であるほど、楽して得るとか、何の努力もせず、簡単に手に入る事を指導します
先日の「地獄にきた男 何でも願いがすぐに叶うと…」の話を読んでいただきたいと思います
主人公の願いを叶えてくれる存在を天使だと勘違いしていますが、実際にはそれは悪魔だったという話です
世間にはそうした天使を装った魔が多くいて、人々の願いを叶えると言って、欲望を煽って、自分たちの虜としているものがなんと多い事でしょう!
そんなものに惹かれそうになった時には、もう一度モーリアックの言葉を思い出していただきたいと思います
1 件のコメント:
「あなたにはこういうところがあるから、書き換えましょうか?」とスピリチュアル系の方に言われたことがあります
わたしはゾッとしました。そして丁寧にお断りしました。他人はヒントはくれるかもしれませんが、自分の直すべきところや正しくない傾向性を書き換えるのは、他人ではなく、ここに書かれているとおり、自分の努力によってだと思います。
楽して手に入る系、地獄に来た男にならないよう、自助努力を続けていきたいと思います