昨日は子供の健康診断のために病院に行きました
そこで何人かの障害を持った子供たちを見かけました
その姿に何か尊さを感じました
彼ら彼女らの物語を書いたので、読んでいただけたら幸いです
「天国での約束」
「さあ、みんな、集まってください」と天使は優しく呼びかけました。「もうすぐ地上に行く時が来ますよ。それぞれに素敵な家族と出会えることを祈っています」
生まれ変わりの待機場にいた子供たちは、天使の声に従って円形に並びました。彼らはみんな楽しそうに話したり笑ったりしていました。地上でどんな人生を送るのか、どんな夢を追うのか、どんな冒険をするのか、想像するだけでワクワクします。そして何より、自分の事を大切に思って愛してくれる両親に早く会いたかったのです。
「では、最後に一つだけお願いがあります」と天使は言いました。「この中で、他の人のために不自由な身体で生まれる子供を選ばなくてはなりません。自分がなってもよいと思う人はいますか」
子供たちは驚きと戸惑いで顔を見合わせました。不自由な身体で生まれるということは、地上で遊んだり勉強したり恋したりすることが難しくなるということではないか?そんなことを望む人がいるだろうか?
「どうしてそんなことをしなくてはいけないんですか?」と一人の子供が尋ねました。
「それは他の人のためなのです」と天使は答えました。「周りの人に自分が自由に体を動かせることが、どれだけ幸せな事なのかを教えるためです。そのため誰かがこの役を引き受けなくてはいけません」
「でも、それって不公平じゃありませんか?」と別の子供が言いました。「私たちは何も悪くありません。どうして苦しむ必要があるんですか?」
天使は微笑みながら言いました。「苦しみや困難を乗り越えることで、人間は成長します。そして他者への思いやりや感謝も深めます。不自由な身体で生まれる子供たちは、その学びの機会を得るのです」
「でも……」と子供たちは口々に言おうとしましたが、
「さあ時間です」と天使は言って止めました。「誰がこの役を担うのか決めなくてはいけません」
子供たちは沈黙しました。目を伏せて考え込みました。
その時、
「私がやります」と一人の声が聞こえました。
「私がやります」と言ったのは、小さな女の子でした。彼女は明るい笑顔を浮かべて、天使に向かって手を挙げました。
「あなたがやってくれるのですか?」と天使は驚きながら尋ねました。
「はい」と女の子は元気に答えました。「他の子が不自由に生まれるのは可哀そうです。どうか私を選んでください」
周りの子供たちは、女の子の言葉に感動しました。彼女は自分の幸せを捨てて、他人の幸せを願っているのだと思いました。彼女が本当の勇気と思いやりを持っている事に驚きました。
「ありがとう」と天使は涙ぐみながら言いました。「あなたは本当に素晴らしい子供です。あなたに不自由な身体で生まれてもらうことにします」
「わかりました」と女の子は笑顔で言いました。「でも、一つだけお願いがあります」
「何ですか?」と天使は尋ねました。
「私が地上に行ったら、このことを忘れさせてください」と女の子は言いました。「私が自分で選んだことだと知ったら、後悔するかもしれません。それよりも、自分が与えられた人生を楽しみたいです」
「もちろんです。みんな天国での楽しかった記憶は空に置いていくのです」と天使は言いました。「ただこれだけは伝えておきます。あなたは不自由な身体で生まれることで得られるものもありますから」
「得られるもの?何ですか?」と女の子は興味津々で尋ねました。
「それは地上で見つけてください」と天使は微笑みながら言いました。「では、行ってらっしゃい」
そうして女の子は地上に旅立って行きました。
7 件のコメント:
ダウン症児の母です。検査勧められた時は頭殴られたような衝撃で、保育器にいる期間長かったから泣きながら母乳絞って持って行って。でも、4人目のこの子が一番…というか本当に可愛いです。
その時その時をそのまま生きていて、こちらが教えてもらうことも多くて。存在自体に癒されてます。正直、将来考えると普通に生まれてきてくれたらなぁ、と、この身体で生まれてきてくれてありがとう、を行ったり来たりしていますが、この子の温もりや笑顔は、かけがえのないものです。
今日の投稿拝見して、胸が熱くなりました。神様から生まれていいよ、って言われた命だもの、って考えてましたが、むしろ神様からお役目を授かって生まれたのでしょうね。魂レベルも、わたしなんかより比較にならないくらい高いと感じます。(地球卒業レベルかも?)
いつもありがとうございます。
泣きそうになりました。
不自由なく暮らせていることに感謝することと
最近の強盗する連中に、何をしにこの世に舞い降りたのですか?と問いかけたいです。
不自由なく過ごせてる体を、こんなことに利用するなんて。
自ら不自由な体を選んで舞い降りた今日のブログの女の子に申し訳ないと思わないか、初心に戻りなさいね。
昔夫が、外出中に出会った、盲目か何かの障害を持った子の姿を見て「何故か涙が出たんだ」と言い、生きるということの感動についての気づきを話してくれたことがありました。全ての命は尊いですね
このエピソードを読んだ時にまさしく、これは私のことだと思いました。
私は現に発達障害を持つ20代の男性です。これまで人間でありながら、人間ではないような、
社会から疎外された虚しさと苦しさを抱えて生きて来ました。
普通の人が送ることができた青春の人生を送ることもできず、ひどい失敗と挫折を抱えて生きてきました。
来し方を振り返り不幸だった、と嘆くことも、自死を考えることもしばしばあります。
私が障害を選んで生まれた意味は、なんだったのだろうか、と。
しかし私には生まれる前の前世の記憶と、今の私に生まれる前の天界の記憶のようなものがあります。
今の私に生まれる前の、前世の人は、天界の案内人に
「発達障害で生まれることになるけれども、それでいいか」と尋ねられました。
私に生まれる前のその人は
「発達障害でもなんにでも生まれても、今回の人生ではなんとか乗り越えてみせる」
と言いました。
そして私が生まれたわけですが、その道は苦難に満ちたものでした。
いつか私が命を全うして天の国に召された時に、祝福されるように、日々を生きようと思います。
発達症がの方を何人か知っていますが根がとても優しい方ばかりです。伝わってくるエネルギーも優しいです。何も喋らなくても隣りでそっと休みたくなるようなエネルギーです。
挑戦、勇気、尊さのある魂だと思いました。きっと天の国の皆さんが拍手で迎えてくれることだと思います。
あなたのコメントを読んで最後の日まで私もちゃんと生きていこうと思いました。
コメントされた皆さんの気持ちが伝わってきます。
この記事を多くへ紹介したら、「身につまされ、反省。良い話をありがとうございます」との返事がきました。魂へしっかり届いています。ありがとうございました。
この話
うちの子供が同じ事を話したことがあります。