アメリカのテレビ番組で「トワイライトゾーン」という短編怪奇SF作品がありました
一話完結の短い不思議な話を集めたもので、日本で言えば「世にも奇妙な物語」のような番組です
ちなみにトワイライトゾーンとは、昼でも夜でもない時間帯くらいの意味で、日本で言えば黄昏時のような感じでしょうか
もとは1959年に米国で放送された、とても古いものですが、何度もリメイクされています
日本での放送では「ミステリーゾーン」と題して放映されたこともあるそうです
このトワイライトゾーンの作品に中に、第28話「地獄にきた男」というものがあります
興味深い作品なので、紹介してみたいと思います
犯罪者のロッキーは警官に撃たれて死んでしまいます
彼は目覚めると見たことのない場所に自分がいる事に気付きます
そこへ見知らぬ男性が現れ、ロッキーに何か望みはないか?と聞いてきます
ロッキーいろんな願望を言うとそれを何でもすぐに叶えてくれます
たとえば大金を手に入れたいと思えばすぐに叶い、豪華な食事をしたいと思えば目の前に現れ、美女に囲まれたいと思えば、すぐに実現します
ここは天国で、見知らぬ男性は天使だと気づきます
だから何でも望みが叶うのだと思うのです
そこで今度は好きなギャンブルを開始します
いくらギャンブルをやってもロッキーは勝ち続けます
何度やっても勝って勝って勝ちまくるのです
いっこうに負けることも無いギャンブルをして、次第にロッキーも飽きてきてしまいます
何でもすぐ手に入る生活に、次第に飽き飽きしてしまうのです
そこでロッキーは、やりがいのある仕事がしたいと願います
しかし、天使はこう告げました「ここでは何でも叶うが、欲しいものを手に入れるために働く機会だけは与えられないのだ」と
努力してようやく手に入れる喜びが無い世界なのです
次第にイライラが募って来たロッキーは、ついに天国から出る事を望みます
天使に向かって、「別な場所(地獄)に行かせてくれ」っと頼みます
すると天使と思っていた人物の顔が、邪悪な顔に変わり「ここがその別な場所なのだよ」と教えます
つまりロッキーは、死んで何でも願いが叶う天国に行ったと思っていたら、実はそこは地獄だったというものです
何でもすぐに手に入れられると、人はその価値が薄く感じて、喜びを得られなくなります
たとえば海外のセレブの生活を移したテレビ番組を見ると、金持ちの親が、子供の欲しいものを何でも買ってあげているのです
子供も何でも好きなものをねだれば、それが簡単に手に入ります
その姿を見ていると、子供は手に入れた高価な品ものに、それほど喜びを感じておらず、当たり前のように思っているようでした
つまり、いつでも何でも手に入る状況では、それを得た時の喜びは薄らいできてしますのです
人間は努力して、やっと求めていたものが手に入った時ほど、喜びも大きなものとなります
お金持ちの親に、何でも買ってもらえる子どもというのは、このトワイライトゾーンのお話のように、自分の努力で手に入れる喜びを失った世界にいるのかも知れません
人の幸せというのは、努力がともなってこそ深まるというものです
仕事をするのが嫌と思う事もあるでしょうが、人は体が動かせて、人様のお役に立つ仕事が出来るほど、幸せな事も稀なのです
ただ求める物をすぐに得れば幸せだと思って、犯罪に走ったり、人を騙してでも得ようとすると、ほんとうの幸せは得られません
その事をこのお話は教えてくれているように思います
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3 件のコメント:
お金持ちの方が子供の頃、サンタさんにクリスマスプレゼント、プラスチックの箱を希望したと聞きました(^^; 普段なんでも手に入るから
使命を生きられるかだと思います
使命を生きていたら幸せだと思います。
チートを使ってテレビゲームを始めると、最初はレアアイテムを無限に手に入れたり、強敵も楽々倒せていわゆる俺TUEEE状態に浸れます。しかし、そこには成功も失敗もなく、本来楽しみであるはずのゲームが淡々とした作業でしかなくなってしまう感じを思い出しました。
程度の低い例えではありますが、似ている気がしませんか(笑)
ゲームの例え面白いですね(^^)
まさにそんな感じでしょうか。
ちなみに私の一番好きなゲームはトルネコの大冒険というゲームで
敵のいるダンジョンを、武器も盾も持たず大きなパン一つだけもって挑むゲームです。
ゲームを始めてもう10年近くたちますが、難しすぎてまだクリアできていません(笑)
難しければ難しいほど、やりがいがあります。
ゲームでそう思えるのだから、現実世界もそのように捉えて生きていきたいですね。
(それがなかなか難しい!)