人生には様々な苦しみというものが存在します
代表的なもので言えば、お釈迦のあげられた生・老・病・死です
人は生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病になる苦しみ、そして死ぬ苦しみから逃れられません
そうした苦しみというものが人生には付きまとっています
たとえば重い病気になられた人は「どうして自分だけこんな目に…」と嘆かれるかもしれません
しかし、病の苦しみというものは誰しもあるもので、そこから逃れられる人はいません
いまは健康であったとしても、いつの日にか病に倒れる日が来ます
そして病になると嘆き悲しんで、まるで自分一人が不幸を背負ってしまったように感じますが、実際には他の人たちも同じような苦しみを背負って生きています
何故、そのような苦しみが人生にあるのかと考えると、苦しみの中になるからこそ、魂は磨かれ、輝けるものとなることが出来るからだと思います
普段、何気ない日常を生きていたら、きっと健康のありがたさも、明日もまた訪れる日常のありがたさも感じないでしょう
病に倒れ、今までできたことが出来なくなるからこそ、日常のありがたさを再確認できます
そして今までの人生を振り返り、もう一度自分の人生を考え直す機会ともなります
それまでは忙しさにかまけて、大切な人生について考えることも少なかったと思いますが、病に伏せることで、じっくりと考える時間を得ます
自分の人生について、そして家族との関係について、もう一度見つめなおす機会になります
そのように苦しみの中にあるからこそ、まるで宝石の原石が磨かれて、輝きを増す様に、自らの身を削って、苦しみが輝きに変わっていきます
苦しみというものが、やがて自分を磨いて輝かせるための、砥石の役割をしているのだっと思えば、試練を乗り越える力となってきます
関連記事
1 件のコメント:
慎重になりすぎていて積極性が足りない
今朝の朝ドラでのセリフです。
私は今やりたいことがあってどうしようか迷っていました。
その道の人に話を聞きに行けばいいかどうかこれからどうすればいいのか悩んでいました。
今朝この言葉が出てきてハッと気付かされました。
教えて頂ける気づきはいつもいつも優しいだけではなく厳しさも時には含まれているとしみじみ思いました。
厳しい時代ですが、がんばって私の道を歩んでいこう、と背中を押されました。
たくさんの方が今ある幸せに気付いていけるようにと願います。この中にはもちろん私自身も含みます。
毎日の更新ありがとうございます。
感謝を込めて。