2022年10月27日木曜日

アンディ・ウォーホルやバンクシーら現代アートの問題点



鳥取県がポップアートの巨匠とされるアンディ・ウォーホルの木製の立体作品「ブリロの箱」5点を計約3億円で購入したとして話題となっています

ブリロというのは、アメリカで売られている洗剤を含んだスチールウールのたわしの事で、それを入れている箱を模したものが、今回の作品です

下が実際のブリロの画像で、上のトップ画がアンディー・ウォーホルの作品、1点で六千八百万円もするものです


こんなものは三億近くも出してわざわざ買わなくても、実際のブリロの箱を買って展示していれば、税金をほどんと使わず、安上がりではないかと思われます

はたしてこれが芸術作品なのか?という疑問が当然湧いてくるはずですが、それがかえって話題性を呼んで、彼の作品が人気となっています

もうひとり、現代アートで有名な方としては、バンクシーがいます

イギリスに住むと思われる彼は、顔を隠しており、自身を謎に包ませて、作品を世界各地の街角に、落書きのように描いており、それが話題性を生じています

社会を風刺したような作品を描き、人々の話題となる事で、作品の価値も高めています

このウォーホルとバンクシーに共通して感じることは、芸術性は低くても、話題となれば価値を生むという現代的な特徴です

いまはネットなどでも、人々の注目を集め、話題となれば一躍有名人となれる時代です

そのため迷惑系ユーチューバーなども出現し、とにかく有名になりさえすればいいのだと考えるものが増殖しています

彼らの作品にしても、とにかく話題となり、注目を集めさえすれば、人気となるという一例でしょう

はっきり言えばどちらも芸術的価値はほぼ無いと思います

両者の作品を見て、素晴らしいと言っているような人は、裸の王様を見て、素晴らしいと囃し立てる愚か者と一緒です

彼らの作品が人気となっている背景には、現代の病が現れているという点では、価値のあるものかもしれませんが

最近はAIによって優れた絵画が出来て、それで賞を取るようなことが起こっているようです

AIが自動で生み出した作品が優秀な絵を生み出す時代です

そうなれば、ただの絵をかいていただけでは、世間から認められるのはますます難しくなっていくでしょう

ではどうするかというと、他の人が作らないような、奇抜なアイディアの作品を生み出す人が増えます

今でもそんなものが横行していますけど、今後ますますそうした傾向が強くなっていくように懸念されます

すると人々は芸術的な価値よりも、奇抜さや人々の関心を引くもの、注目を集める事を求めるようになるでしょう

その先には、不毛な作品だけがあふれかえる時代となります

ますます愚か者が増殖する時代にならないように、本当に価値あるものを感じ取れるようになることが大切だと思います

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ピカソについて、スクールで教えていただきましたが
芸術の是非を見抜くのは難しいですね。
バンクシーはあまりいい印象を持っていませんでしたが、ウォーホールは優れた芸術家と思っていました。
でも確かに、ウォーホールといえば、キャンベルのスープ缶ですけど
見る側は必死で意味を見出そうとするもので、いろいろとその批評が語られていますけど
キャンベルのスープ缶って、今でも売ってる既存の会社の商品ですよね
それを絵にしちゃうって、確かにYouTuberっぽいです。
人が作った既存のものを使って話題を集めるところが。
べつに迷惑かけるわけでなければいいですけど、芸術家とは言えないかもですね

匿名 さんのコメント...

ウォーホールの作品は見慣れたスープ缶やマリリンモンローでも表現手法を変えることでお洒落な作品に仕上げることができるのだなーという印象でした。センスはすっごくある方なんじゃないかな。版画などで大量生産できるので広告に使うのもちょうどいいみたいですし大衆うけもいいだろうけど、それが芸術なのかといわれるとちょっと違う気はします。大衆受けを狙うと、芸術の概念から外れちゃいますね。

ブリオの箱の作品は初めてみましたが、これはただの箱なのでは・・・?驚きです。なんでいきなり鳥取県はこんなのになんで3億も出したんだろう。。。そうえいばスクールで前世はアンドロイドだと言われていた落合陽一さんが、人々の注意を惹くことを目的としたものが多すぎる今の状況を憂いておられたなぁ・・

ゆどうふ さんのコメント...

音楽の世界でもジョン・ケージ(1912年〜92年)と云う作曲家が、
ピアノの前に座ったまま4分半何もしないでいる姿(4分33秒)や、
どんな楽器でも良いのでとにかく好き放題に適当に演奏している光景(ピアノと管弦楽のためのコンサート)を、
「音楽だ」とみなして作品として色々と発表していましたが、
これもやはり世の中に良い影響を与えた芸術作品では無いのでしょうね。

彼以降、音楽でも奇抜なことをして悦に浸ってるアーティストが多々現れるようになりました。
どれも音として聴いてみると不協和音にまみれていて、到底聴き心地の良いものではありません。

アートにしろミュージックにしろ、まず「調和」が前提にあってこそ、
高次元とつながった作品となれるのかも知れません。

匿名 さんのコメント...

懐かしいことを思い出させていただきありがとうございました
ゴッホとかピカソとかでも、その時代背景の表現性の歴史的価値と希少価値だと思います
高一のはじめての芸術の授業中を思い出しました笑
美術の先生が授業中に生徒一人一人に、芸術とは?聞きました
私の番が来たときに、私は、目には見えないものですと答えました笑
そうしたら先生は固まって、少ししたら、そうだーーー芸術はそうなんだーと皆にいいました
みんな分かんなかったと思います笑

その先生は在学中2回だけ褒めてくれました 覚えてるのが

一度目は屋外写生の時に泉と林の間に小道を書いた絵でした。写生なのに何故か私は小道にイルカを2頭書いてしまいました なんか小道が小川に見えて書いたから、違反でしたが笑
2回目は抽象画の感情の形をかいてみましたこれは最後あたりの授業の時でした。
二面性の感じを書いたら先生は、凄く驚いて皆に説明してました。
私よりくわしく笑
私は美術部には入ってませんし、技術的には拙いものなのは間違いないものでしたが、美術部の人やその先生にはつたわった表現だったらしいです 

本題ですが、何がすごいのかというと、その先生はいちどとして、私を帰宅部のわたしを美術部に勧誘しなかったのです

何故なら芸術とは自由で、制限のないものなのだからです この文章を見て謎が解けました笑

匿名 さんのコメント...

「芸術」という言葉の定義が、人によってまちまちな気がします。

狭義の芸術は、高次元に通じる正しくて良いもの。(美)

広義の芸術は、自由で何でもありなもの。(玉石混淆)

現代の芸術は後者のようですね。

自由という事はつまり、光に転じる可能性と闇に転じる可能性が両方ある。

善導する観点では、正しい芸術を広めたいし、さらに、それをきっかけにし真理が浸透して欲しいものです。今回の記事も、危険回避のために必要な指摘ですね。

ただ、「怖いもの見たさ」も含め、多様な人生経験を積みたい魂は、何となく雁字搦めな気分を感じます。

安全地帯への誘導と自由の尊重は、天秤にかけるのが難しいと感じました。

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。