2022年9月5日月曜日

自分の居場所を見つけられないでいる君へ



人生で様々な不幸がありますが、そのなかで自分の居場所が見つけられない不幸は、そのうちの大きなものです

自分に会った場所が見つけられず、合わない場所に居続ける事は、人生の不幸であり悲劇でもあります

私も今では、自分に合っていると思う、物書きで生活していますが、それ以前には、いろんな職業を転々としていました

東京で商社マンをしていたこともありますし、大手携帯会社のエンジニアをしていたり、あるいは父の仕事の建築関係で汗を流していたこともあります

いろんな仕事をしてきましたが、やはり何か違和感を覚えていました

自分に合っていない仕事をしている気持がありながら、では何をすればいいのかわからないでいたのです

「この仕事は自分には向いていない。もっと何か自分に合った居場所があるのではないか?」と考えていました

でも、どこにその居場所があるのか、皆目わからずに、いろんな場所を探し回っていたのです

まるで幸せの青い鳥を求めて、いろんな世界を探求する、チルチルとミチルのようにです

何か居心地の悪さを感じながら仕事をしている自分を見て、上司もそれを感じ取ったのでしょう飲みの席でこう言われたことがあります

当時はサラリーマンをしていましたが、難しい哲学書を読んでいる私に「そんなものが飯のタネになるわけがない。生きるためにしっかり仕事に集中しろ」というようなお説教を受けました

思想家とか、自分の考えを世に出して、それで生活するなんてできないのだから、今の仕事に熱心になって打ち込めという事だったのでしょう

たしかにサボっていては給料泥棒になりますので、真面目に働かなくてはならない面はあります

ただ、やはり私は普通のサラリーマンは、自分の居場所では無かったと思います

もちろん、そうした仕事があっていて、そこを居場所にされる人もいるのでしょうが、私の場合には、自分の居場所とは違ったのです

そうして小難しい本を読み込んでいたことも、今こうして皆さんにお話を書いているうえで、大いに役立っています

今は自分の居場所を見つめられて、かつての上司に無理だと言われていたような、自分の意見を発信して生活するようになっています

今は幸せな人生を送っていますが、それまでの紆余曲折の期間というものは長いものでした

ですので、自分の居場所を見つけられずに、違う環境にいる苦しみというものはよくわかります

おそらくここを読まれている人の中にも、まだ自分の居場所を見つけられずにいる人もいるでしょう

なかには一生見つけられずに、後悔して亡くなる人もいます

しかし、自分の居場所を見つけ、そこへと移住するには、それに相応しい努力の積み重ねが大切だと思います

私であれば、みながお酒を飲んで酔いつぶれている時に、哲学書や思想書などを読み込んでいた事でしょう

あるいはブログをはじめた時にも、これで生活しようとも思った事も無く、ただ真理を一人でも多くの人に届けたいという思いからでした

それでコツコツと続けて蓄積していった結果が、いまの自分を作っています

人はどうしても楽な方に流されてしまいます

ですが、自分の居場所はここではない、もっと別な場所があるはずだと思っているなら、その場所に立つのに相応しい自分にならなくてはいけません

本当にあなたが、相応しい場所を求めて努力を重ねているなら、やがては相応しい場所へと運ばれていきます

それまでは、その場所に相応しい自分となるように、磨きをかけておかなくてはいけません

3 件のコメント:

  1. 適職と天職は違うと、江原さんもおっしゃっていますね。
    天職は魂が喜ぶ仕事で、適職は生活していくための仕事だということでした。
    天職が適職になれば素晴らしいけれど、必ずしもそうなるわけではなくて、天職がお金に結びつかなければ、適職で稼がねばいけないと。

    天職と適職がイコールの方は、前世で徳を積んでいらっしゃるのかなと思います。
    私はきっぱり適職で生活して、魂が喜ぶことは趣味としています。
    適職を見つけられるだけでも、幸せなことですね。

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  2. いつか必ず自分を活かせる時が来る。待たなくては行けない時期もある。

    身を屈して、分を守り、天の時を待つ。 蛟龍の淵にひそむは昇らんがためである。


    松永安左衛門を思い出しました。

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  3. 自分の場合は無駄なものをそぎ落としながら、自分と対話するように自分の内側を見つめたとき、そこにあったものが自分の魂が得意とするものであり、それを自覚したころから自然と今の活動に繋がっていきました。

    自分が何に向いているのかわからなかった頃は自分に自信が持てず、ただただ時間を消費するように生きていたように思います。違和感が本当に大きかった時期は、心の奥から「道を間違ってるよ」と聞こえてきたこともあります。心は教えてくれていたのですね。それを聞いても、ただ流されるしかできませんでした。

    いつの頃からか、自分の内側に無駄なものが減ったせいか少しずつ流れも変わり、自然と努力を積み重ねる時期に入っていったように思います。それは自分を練りあげ、磨いていく作業でもあり、没頭できる時間でありました。現在では、大したお金にはなりませんが、本当に充実した時間を過ごせていると感じます。幸い本業の家業があるためお金には困らずにすんでいます。感謝しかありません。

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