多くの人が誤解している事があります
それは幸せはゴールの先であり、到着地点だと思い込むことです
登山家が険しい山道を登り、ようやく到着した山頂にこそ、幸せはあるのだと勘違います
あるいは、もう一方に、山頂を目指すよりも、山道を下っていく方が、楽できて幸せだと思う人もいるでしょう
大抵の人は、これら二つの、どちらかに属しています
一生懸命に努力して、やっとゴールを迎えたら、そこに幸せはあるはずだと思って、必死に頑張っている人もいれば、ゴールなど目指さずに、楽して生きていくことが幸せだと思って、自堕落に生きる人もいます
これらが合わさったようなタイプで、頑張ってゴールを目指していた人でも、到着したと思ったら、あとはゆっくりと下っていけばいいのだと思う人もいるでしょう
たとえば、志望校を決めて、その目標とする学校に入るために、一生懸命に勉強する姿を考えてみましょう
その学生さんには、志望校に受かる事が幸せであり、合格しさえすれば、自分は幸せになれるのだと思っているかも知れません
そのため必死になって努力を重ねるのですが、合格できなかったら悲しいでしょうし、合格できたとしても、しばらくすれば、当たり前のことになってきて、次のゴールを求めなくてはならないかも知れません
一方で、努力などせずに、今だけを楽しめばいいと思う人もいるでしょう
無理して受験勉強に精を出したりせず、実力の範囲内で入れるところに行けばいいと思います
ゴールを持たずに、ただ日々の生活に追われる生き方です
しかし、それもまた、本当の幸せからは離れていってしまうように思います
本当の幸せというのは、ゴールを目指して歩んでいる中にも、幸せを見出していくことだと思います
登山をして、山頂につかなければ、得られないものでは無く、山頂を目指して歩む中にも、幸せはあり、それを見出していくことが大切なのだと思います
本当の幸せは、山道を楽して下っていく生き方の中にも無く、がむしゃらに山頂を目指していく中にも見いだせないように思います
山頂を目指しつつ、途中の道に咲く野花の美しさに、喜びを見出したり、途中で見える山下の景色に感動したりする、心のゆとりも大切です
がむしゃらに進んでいる時には、見えない景色というものもあります
下っているだけでは、味わえない感動もあります
人生を、山道を登る旅と捉えて、喜びを見出していくことが大切ではないでしょうか
旅に出かけるとなると、事前に準備をしたり、どのようなルートで登ろうかと考えますが、そのように計画を立てたり準備している事も楽しみになります
目的地に到着知れば楽しいのではなく、旅をすると決めて、頭で思い浮かべているだけで、すでに楽しいものです
そのようにゴールにつきさえすれば幸せなのではなく、その前の段階でも、途中にあっても幸せは幾つも転がっています
それを見出す心のゆとりがなければ、気づかずに通り過ぎてしまうでしょう
人生は旅だと思って、途中の行程も楽しんでください
2 件のコメント:
お祭本番よりもお祭りの準備が楽しいのと一緒ですね!
私は今までゴールばかり気にしていました。
記事を読むまで気づかず本当に反省しましたし、ヒヤッともしました。
よく考えるとそうですよね。
あの世に還った時、あの時は頑張ったね、でもおしかったね〜あれで良かったね、あれが正しい道だったね〜などまるで自分のことのように皆さんいろいろ言ってくださると思います。
あの大学に入って良かったね〜、昇進したね〜、お金持ちになってすごいね、などは決して言われないでしょう。
この世ではゴールは区切りのようにも感じるので好まれるのかもしれません。
道のりが大切だとはまた一つ真実の勉強になりました。ありがとうございました。