他人がしたことに怒りを感じる事は誰しも経験していると思います
その時に、実は怒っている相手の中に、自分を投影している事があるのです
自分自身の中に、抑圧された面があると、それを他人に投影してしまい、ついつい怒ったり、不快な感情が湧き出る事があります
たとえば、あなたが子どもの頃から親に「身だしなみをちゃんとしてなくてはいけない」と厳しく躾けられたとします
親を愛するあなたは、その言いつけを守りました
でなければ、親から愛されなくなるという恐怖があるからです
そのためあなたは身だしなみに気を付けるようにしています
しかし、会社に行くと、身だしなみがだらしない部下がいました
あなはたそれを見て不快になってしまい、ついには「どうして身だしなみをきちんとできないのか」っとその部下の事が嫌になり、しっかりしなさいと怒ってしまいます
この時、あなたは自覚しなくても、子どもの頃から刷り込まれた、親などからの躾が影響し、その物差しで他人を裁いている事があるのです
ほんとうはだらしなくしていたかったのに、そんな自分を抑圧して生きてきたため、抑圧された自分を他人に見ると、怒りが込み上げてきます
たとえば仕事で言えば、作業の早い人は、遅い人にイライラしてしまう事があります
「どうしてこんなのろまなんだ」と怒ってしまう事もあるでしょう
しかし、その人は、丁寧な仕事をするのが得意なのかもしれません
作業は遅いですが、ゆっくりと丁寧に、間違いを少なくするタイプであったりします
また、細かな事にも気を配る人は、無神経なタイプに不快になったりします
ですがそれも、自分が神経質で、相手はおおらかなタイプなのかもしれません
相手の短所と思えるものも、実は裏を返せば、あなたが持っていない長所を持ち合わせているかも知れません
そのように、自分の中にある価値観や物差しを使って、人は他人を裁き、怒りなどの感情を湧き立たせていますが、実は自分自身の問題であったりします
相手に抑圧された自分の姿を見ていたり、自分の持ち合わせていない長所を認めていないだけかもしれません
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1 件のコメント:
母親が教育熱心で、いろいろと支配的、抑圧的でしたが
どーーーーーしても我慢ならなかったのが服装の指定です。
母好みのファッションが、お嬢様系ファッションで、スカートやフリフリのドレスみたいな服がどうしても嫌で
ある日どうしてもこれは着たくないと、何時間やりあったでしょうか。9歳か10歳の時とはっきり覚えています。
もうものすごい戦争のようなやり合いでしたが、結局母が折れて「勝手にしなさい!」と最後はキレられ、少し不安と悲しみがありましたが(愛情を失ったと思った)、それよりも自らの意志を勝ち取った喜びの方が大きかったです。
今思えばあんなにギャーッと言わず、冷静に「この服は着たくない」と言えば、母もあんなにムキにならなかったかなという反省はありますが
でも、あの時、戦争のような言い合いをしてでも、抑圧から解放されたことは良かったと思います。
スカートを履かない女性に、怒りを感じることは一切ありません(^^)