先日、たまたまスターシード関連のブログを拝見したら、良いことを書かれていると思っていても、その情報の中には、残念ながら闇側の巧妙な偽情報も含まれていました
特にスピリチュアル界といいますか、宇宙からのチャネリングメッセージなどを伝えるところで、危険な情報について取り上げてみたいと思います
まず、すべての人が実は救世主であり、神様=創造主だという話です
今までの宗教では、外部に救い主がいて、私たちを救ってくれると信じ込ませていましたが、実際にはそれらは私たちを組織に縛り付ける幻想であり、実は私たち自身が救世主であり、創造主であるという話です
これは一見もっともな意見のようにも見えます
たしかに過去の宗教組織、はっきり言えばカトリック教会などは、自分たちの組織を強めるため、信仰を利用して、人々を従わせるようなことをしていました
今でも一部の宗教などでも同じ問題は起こっているでしょう
そうした宗教に対する問題点を突いている部分はあるのですが、巧妙な偽情報も含まれています
確かに私たちは本質において、宝物のような神性や仏性といわれる、神仏と同じ性質を宿しています
そのことは当ブログでも何度も取り上げていました
ですが、私たちが神性仏性を宿しているからと言って、そのまま神様仏様という事ではありません
ダイヤモンドの原石が埋まっているとしても、それを掘り出して、泥を拭い、綺麗に研磨してこそ、輝きが出てきます
神性仏性があるからと言って、そのまま私たちが神様仏様ではないのです
これは目新しい問題ではなくて、仏教などでも昔から議論されてきました
仏教では一切衆生悉有仏性といって、すべての人に仏様と同じ仏性が宿っているとされます
しかし、だからといって、何もせずにみんなが仏様と言うわけではないのです
仏教では修行を説くように、自分を磨いていって、少しでも仏様に近づく努力をします
もしもそのままで仏様であるとするならば、何の努力も必要が無くなってきます
一生懸命に努力して修行した人や、他の人々を助け、救済に尽力した人も、怠けて何もせず、遊んでばかりいる人や、犯罪を犯して平然といる人とも、みんな同じことになります
みんなに神性が宿っているというのと、みんなが神様だというのは、一見すると同じように見えても、実は(文字通り)天国と地獄の差があるのです
闇側というのは、このように真実の中にわずかな毒水を混ぜて、人々に浸透させようとします
一見すると同じような事を言っているように見えても、実は非常に危険な内容であることがあるのです
闇側は「お前は神だ」とか「偉大な存在だ」という偽メッセージを送ってきます
わたしたち自身が救世主であり、神であるというような、偽情報を信じていると、そうした情報を鵜呑みにしていきます
そうして次第に慢心していって、知らず知らずに闇側の広報に使われるのです
一見するともっともなような内容であったり、良い教えを説いているように見えて、実は真実から徐々に引き離されてしまいます
自分は神様なのだと信じ込ませて、人々を慢心させ、そうして群れから離れた子羊を、谷間に誘い込むように、徐々に間違った方向に歩ませます
宗教組織というものも、まったく無用なもので、人間を閉じ込めるばかりのものでは無くて、貴重な役割も果たしています
それは仏陀やイエスなどの、真の救世主の言葉を、人々に語り継ぐという役割を果たしてきました
もしも両者が組織を持たなければ、今日、私たちがイエスや仏陀の言葉を知ることは無かったでしょう
そのように組織というのは法灯を消さずに伝えていく役割があります
そうして組織内での学びによって、修行を重ねて、聖人のようになられる方も出てきますし、魂の学びともなります
各宗教の後にも聖人と言われる人が出てくるのも、やはり組織があって、そこで学んだり、修行した結果でしょう
さらにもう一点述べるなら、霊的な視点で見ると、やはり組織によって霊的に弱い人を守ってきたという機能があったはずです
闇側の存在というのは、ライオンなどの肉食動物に近い動きをして、群れから孤立した弱いものを襲ってくる習性があります
ですので、組織に属さずに、一人でいるところを、闇側に狙われるということがあるのです
みなさんの中で、一生懸命に神社や仏閣などにお参りしている人などは、やはり光の加護があります
神社仏閣などを否定して、自分が救い主であり神なのだから、そうしたものに頼らないと思っていると、実は闇側に狙われやすくなります
そのように霊的に見れば、宗教組織というのは、霊的に弱い者を守るという機能があったと思います
こうした闇側の偽情報が広く出回っていますので、警告のために述べておきました
5 件のコメント:
スクール生になった今でこそ当たり前の認識ですが、スピリチュアルに出会ったばかりの頃は、このトリックに引っかかりそうになりましたよ!
有難い警告ですね。
全ての存在が神さまというとちょっと語弊を招きますね。
「全ての存在が小さな神様」「全ての存在に仏性が宿っている」の方がわかりやすいかもしれませんね。
宗教の必要性も教えていただいてありがとうございます。
神社に加えて仏閣にもお参りに行こうと思いました。
なーるほど、天台本覚思想を今風に言うとみーんな神様なんだよっ☆っていうことなんですね。
頭お花畑スピリチュアルの典型ですね。一見優しいのだけど、反省や研鑽の無い堕落への道。お釈迦さまの説いた修行による悟りの道とは正反対。
先生、いつもありがとうございます。
とても興味深く読ませていただきました。
最近、自分は神様の生まれ変わり(魂さんが神様)といった人がYouTubeやSNSで発信しているのをよく見かけますが、そのようなものも闇側なのでしょうか。
光と闇について語っていたり、たまに良いお話などもしているのでつい興味を持ってチェックしてしまうのですが…。やめた方が良いのでしょうか。
なかなか自分自身で判断するのは難しいなと感じてしまいます。
お花畑の偽物のスピリチュアルは、そのままの自分を愛しましょう、そのままのあなたが素晴らしい、と謳います。
苦しいですが、内観によって自分の心の闇や悪を見つめて受け入れて、魂を磨かないと、魂の成長はあり得ません。
魂を磨いて磨いて、やっと創造主と自分が繋がっている、と腑におちる、体感出来るのです。
闇の落とし穴はそこら辺に普通にあって、多くの人達は落ちてることすら気付かない。
この大変革期に、闇側は焦っていて実に巧妙です。
こちらのような本物のブログがたくさん増えますように。
恥を忍んで言いますと、闇ではないかもしれませんが私はこのような類からスピリチュアルに入ったと思います。
本当の真実を知りたいという気持ちはいつもありました。でもおかしいとざらっとした気持ちが生まれ気付き少しずつ離れてきました。
一人一人真実の道は違っていると思います(マニュアルがあれば簡単だと思います)そこに巧妙に忍びこんでくると今ならわかります。
あなただけのとか特別にあなただけなどもスピリチュアル心をくすぐるやり方だとわかるようになりました。
善良な人々をだますことは何とも言えず腹正しいです。闇が取り入れたいと願うことは、それほど良いエネルギーを内包しているのだろうと考えます。
最近懺悔もすることにしました。懺悔するとそこからふわ〜っと光が広がって届いている感じがするので、先生の教えはやはり素晴らしいと体感しました。