人は成功者となる事を願い、求めますが、その結果はいずれ失われるものです
この世的な成功とされるものは、いずれ価値を失っていきます
どれだけ人々から称賛され、偉大な業績を上げたと表彰されようとも、やがては消えていき、崩れ去っていきます
それは海岸で砂で作ったものが、いずれは波と風とに飛ばされていくように、姿かたちなく消え去っていくようなものです
たとえばノーベル賞のような世界的に有名な賞をとったとしても、オリンピックで金メダルをとったとしても、死後にメダルを持って帰ることは出来ません
ノーベル賞平和賞を受賞した人であっても、死後に地獄に落ちてしまう人はいるのです
この世の成功と呼ばれるものは、いずれ失われる儚いものだと知っておかなくてはなりません
では真に求めるべきものとは何でしょうか?
それはこの世での賞であったり、人からの称賛ではないと申し上げました
真に私たちが求めるべきもの、それは本当の自分に正直である事、自らの良心に忠実に生きられることでは無いでしょうか
人間はこの世的な価値や、人々から向けられる称賛を求めてしまいがちになります
世の中で価値あるとされるものを手に入れたいと欲し、人々から褒められ、持ち上げられることに喜びを見出します
しかし、それらは真に価値あるものでは無く、儚いものでしかありません
自分の良心にどれだけ忠実でいられたのか?
他人の目などは関係なく、自分自身に正直であったかが問われます
自分の良心に従うとは、本当に自分らしく生きる事です
成功や人々からの称賛よりも、自分らしく生き、真実の人生を生きる事の方が、比較にならないほど大切な事です
自分らしく生きる事は、周りの人からどのように思われようとも、価値のある生き方です
2 件のコメント:
>自分の良心に従うとは、本当に自分らしく生きる事です
いつも家族や他人基準になってしまっていて私にとってはとても難しいことです。
例えば今の私だと自分らしく生きるとは会社勤めだと自分らしくとはいかないかもしれないと考えました。
間違っていることにも目をつむりながら生活のために仕事をしている状況です。
コロナ(特にワクチン騒動)の時にも思いましたが、大雑把に言って会社勤めはやはり厳しいというか弱い立場だと痛感しました。
自分で立って生活していくということが目標かな、と思いました。
そしてこのブログのコメントは書き始めると自分で気づいてないようなことが表れてくるので興味深いです。
バシャールの話で、聞いたことない話だなと感じた点は、
自分がなすべき学びもショートカットし、人生をゲームをクリアするようにのみ楽しみ、自分の成功や勝利のために、他の人の恐怖心などのネガティブなエネルギーではなく、むしろ他人の活力となるようなポジティブなエネルギーと同通していくところです。
優秀な人材の成功のために、そうでないものたちの活力を奪っていくというのが肝なのでしょうか。失敗してもリセットしてすぐやりなおし、いつでも活力が供給され、まさしくゲームをクリアするように楽しみ、けた外れの成功へとつなげていくという話でした。学びなどの土台のない、上澄みだけのようなエネルギーは、自分にとって都合のよい、他人の目をくらませるような、ミラーボールのようなに煌びやかなものなのではないかと想像します。もちろんそこには、享楽的に生きたいなどの欲もあるのでしょうね。
光か闇かでいうと、恐怖などのネガティブなエネルギーを活動源としていないという点では、闇ではないかもしれません。結果的に、その人の社会的な成功が、一時的には、世のため人のためとなる功績となることもあるかもしれません。
人生を楽しむこと、これが、こちらの記事にあるような「自分らしく」であることと繋がっていれば、それは、魂の光となっていくのかもしれないと感じます。