お正月となるとみなさまも、神社や仏閣などに初詣に行かれることも多いかと思います
普段は神様仏様の事を気にしない日本人ですが、お正月ともなると、淡い信仰心も出て来るようです
ですが、この時の思いというのは、どちらかというと、ご利益をいただけたらよいなという気持ちが強いのではないでしょうか
お参りに行かれれ、今年も無事に過ごせることを願い、できればこの世でも恵まれた人生を送りたいと、神仏に願いを込めて祈られることが多いかと思います
これは現世利益とも言いますけど、この世での利益を求めるような気持で祈られています
そうしたことに惹かれる人が大半ではありますが、違ったこともお話ししたいと思います
それは、神仏を信じることで大切なのは、自分に与えられた出来事の意味を考え、受け入れることがあると思います
この世には、私たちにはわからない理由で、いろんな悲しみも苦しみも起きます
その時に、これらの出来事には意味があるに違いないと思えるのです
神仏が本当にいらっしゃるならば、ただの偶然によって不幸が訪れるのではなくて、これらの出来事にはきっと意味があるはずだと考えられるようになります
この出来事は自分に何を教えようとしているのかと考えてみます
人生における試練とされるものも、自分の魂を鍛えるために現れたものだと思えます
すると、世の中を肯定的に受け止められるようになります
いろんな出来事が起こっていますが、それらは無意味に起こっているのではなく、何らかの深い意味があって生じてきています
それらを人類が克服していくことで、私たちはひとつ、魂のステージを上げることが出来るのです
そのように、神仏を信じるという事は、この世の意味を肯定し、自分の人生を認めていくことにも繋がります
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2 件のコメント:
あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
いつもタイムリーな話題の提供ありがとうございます。
「神様は、人間を幸福にしたくてしょうがない存在なのだ」
と、心の底から信じている人と会ったとき、
その神々しさにとても感動しましたし、
こういう人は、他の人からはどんなに不幸と見えるようなことが起きても、
「神様はこれを乗り越えなさいと言われているんだな。
これも、私が幸せになるために必要なことなのだろうから、絶対頑張る!」
と、決してくじけないのだろうと思いました。
いいことが起きても、嫌なことが起きても、
どちらにせよ、彼女にとって人生は幸福への道であると思いました。
私も、たとえ倒れたとしても、前に倒れ、
匍匐前進で少しずつでも進もうと思っています。