今日のニュースで、製薬会社のファイザー社の発表によると、オミクロン株について、ワクチンを二回接種では効果が弱いが、三回接種すれば効果があると言っていました
舌の根の乾かぬうちに、よくこんないい加減なことが言えるなと呆れて聞いていました
多くの人は少し前のこともすぐ忘れてしまうかもしれませんが、当初はワクチンを二回接種すれば、コロナに罹らなくなる=感染予防効果は九十数パーセントもあると、宣伝していました
ですが、すでにデルタ株では、ブレークスルー感染という呼び方をしていますが、ようはワクチンは感染を防ぐのに効かなかったのです
みんなほかの人には移してはいけないと言って、一生懸命にワクチンを打ったのに、実際には予防効果はほとんど無かったのです
これについて政府からも製薬会社からも、何ら釈明も説明も無いまま、国民はスルーされています
二回接種していれば大丈夫だと言っていたのが、まだ舌の根の乾かぬうちに、三回接種すれば大丈夫だと言い換えています
よく恥ずかしくもなく言えるものだなと感心してしまいますが、それを以前の話はすっかり忘れて、素直に三回目を打とうとする国民もどうかと思います
打つのは個人の自由で構わないのですが、その前に、前回のワクチンをすれば感染は防げるといっていた事が間違いだったと、国民に向けて謝罪すべきだと、政府にも製薬会社にもいうべきではないでしょうか
そもそも今回のワクチンは、長期的にどのような副反応があらわれるかわからないのです
何十年後に重大な問題が見つかったとしても、もう手遅れであり、後の祭りになります
国民全員にワクチン接種を強制して、それが取り返しのつかない問題を将来発生させたら、へたしたら人類が絶滅してしまう可能性すら出てきます
やはり一部の人には、ワクチン接種をしない人たちも残しておくべきなのです
岸田総理は「最悪の事態を想定して」海外からの渡航を全面的に停止しましたが、もし本当に想定するのなら、ワクチン接種による副反応の「最悪の事態を想定して」、一定数は接種しない人を残しておくべきでしょう
ワクチンを強制したり、ワクチンパスポートなどで優遇するのではなく、あくまでも本人の自由選択に任せるべきです
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6 件のコメント:
ワクチン効果の現状は下記のような事でしょうか。
デルタ株の時点で感染予防効果、二次感染予防効果はほぼない。
(あるように見えるのは、未発症感染者は基本的に検査を受けないため)
オミクロン株について、発症予防効果・重症化予防効果に関しては、抗体性免疫はほぼない、細胞性免疫はF社はあると主張。
また、「ワクチン効果ただ乗り論」に対抗して未接種者の社会的意義を主張するのは、仰るようにリスク分散論だと思います。
今日のニュースで4回目接種の可能性について言ってましたが。
なし崩し的に追加接種の可能性が増えていきそうですね。
今後、色んな職種で今までの機能が注射の〇作用で業務が滞ったりしないかと思ったりします。
今日は悪石島の地震が震度5強でしたが。
鬼界カルデラが(もしかすると)長い眠りから目覚めるようなことがあるのでしょうか。
今のタイミングで、国が公式に「ごめんなさい」とアナウンスしたらどうなるか想像してみました。
ワクチンを接種した人は、今まで信用していたお上のアナウンスに茫然自失となり、さらに自暴自棄になり、将来の健康被害への不安も相まって、自殺者が増えそうな気がします。
『99年の愛 〜JAPANESE AMERICANS〜』というドラマにおいて、中井貴一さんが演じた男性が、玉音放送の後に、「日本に帰るのも地獄、アメリカにいても地獄」と発言して、割腹自殺するというシーンがありました。
プライドの対極には恥がある。
今のワクチン信者の皆さんも、中にはプライドがズタズタになり、死を選ぶ人もいそうです。
そうなると、日本全体の士気が弱まり、深い悲しみのムードに包まれそうな気がします。
国は、こうなる事を避けたいのでしょうか。
国会議員の皆さんの中には、「ごめんなさい」を言いたくても、岸田氏を差し置いて言えない、と思う人もいそうです。
仮に言えても、彼らにも家庭があるから、非難のとばっちりが身内に飛んでほしくない。
こういう歯がゆい気持ちでしょうか? 国に忖度するとしたら、こんな感じでしょうか?
だからといって、いつまでも蓋をできる問題ではない。
当時の玉音放送に相当するようなアナウンスがやはり今、必要だと私も思います。
戦後日本は地獄のような時間を経験しましたが、大きなマイナスを、もっと大きなプラスに変えるべく努力し、高度経済成長やバブル経済があった。
俯瞰的に見たら、多少の犠牲はやむを得ない。
岸田氏には(苦肉の)英断を期待したいです。
三回、四回、何度だってかれらは打つでしょう。
自分の頭で考えられない、他者の意見を吟味できない、自分の意志で決断できない。
孤独の中で哲学すること、冷静に議論すること、さまざまな情報を理性的に比較検討したうえで、神仏とともに生きようと願うこと。
彼らはこれらのことをしません。だから、金の多い方へ、権力の強い方へと靡き、決して自分自身の責任において決断しない。
ワクチンの深刻な副作用の全貌が明らかになったとき、かれらはありとあらゆる人を責めまくるでしょう。
「国がうってくれって言ったから」「~医師は安全だといったじゃないか」「みんな打ったんだもん」 etc.
目に浮かびます。それはコロナよりも、地震よりも、はるかに目を覆いたくなるような地獄に違いありません。
未だに異変や違和感に鈍い人がいますが、
恥も外聞もなく、過ちを認めず、堂々と先導に立とうとする
者達の行く末は考えなくなりました。
想定される預言を回避されることを願うのではなく、
否定する危険なポジティブも
選択するのは本人なのでしょう。
危機を前に、私達はその立場で何を優先するのでしょうね。
siriusさんのコメント投稿で、少し気が楽になりました。ありがとうございます。