人が最も恐れる事、最大の恐怖は何かと考えると、それは”シ”でしょう
死ぬということ、この世から亡くなる恐怖が、一番恐れるものではないかと思います
死ぬとどうなるのかわからなくて、「消滅してしまうのだろうか」とか、「それともあの世があるのだろうか」、「あったとしても幽霊のようになってしまわないだろうか」とか、いずれも死の恐怖がもとになります
人は必ず死にます
どんなにお金持ちであろうと、どんなに貧しく生きようと、人は等しく死んでいく存在です
いくらお金を積んでも、いくら健康に気を付けていても、死を逃れられる人はいません
遅かれ早かれ死を迎えるのが人間の定めです
ですが、多くの人は、この人生最大の課題である”死”という問題から目をそらし、見て見ぬふりをして過ごします
まるでそんな問題は無かったかのように、人ごとのように思い、自分のこととして神経に考えるのを避けます
しかし、いくら目をそらしても、考えまいとしても、いずれは皆様のもとにやってくる問題です
誰しも死については、他人に成り代わってもらうわけにはいかず、必ず自分で対峙しなくてはなりません
どれだけ人々を従える権力者であっても、この問題は自分でしか乗り越えなくてはならないものです
こうした人生最大の恐怖と試練に、誰しもがいずれ直面します
死を前にして、人は無力ではありますが、その意味を学んでいくことは可能です
それが霊的真理であり、スピリチュアルの意味でしょう
人間は、この世だけの存在ではなく、死んだ後も生き続ける魂が本質である、と信じる事がスピリチュアルです
いずれ誰しもに訪れる人生最大の試練に、答えを出していくのがスピリチュアルであり、霊的真理です
目を伏せずに正面からこの問題に立ち向かい、自分の答えを出していかなくてはなりません
そのために題材となるのがスピリチュアルであり、すべての人に必要な学びです
3 件のコメント:
なるほど、死を意味する”シ”は、同時に「始」を意味するのですね。
私の祖父の今際の際を思い出しました。私もいずれ、昇っていく階段ですね。
霊的に覚醒している人は輪廻を理解しているので、死をあまり怖いものとは考えていないように思います。
一番の恐れは、嫉妬や妬みなどの攻撃性のあるネガティブな念で傷つくことの様に思います。
ネガティブな念自体も傷つくことの恐れから生じていて、それも全て分離の意識から来るものです。
ですが、本当はみんなが繋がっていて、本来はみんな愛の存在なのだから何も恐れるものはないと分かると、もっと生きやすい世の中になる様に思います。
おかげ様で(元々そうなのかもしれませんが)
備えも心構えも学ばせていただきました。