学歴社会によって生まれた良い面もありますが、間違った人を多く生み出す結果にもなりました
学歴社会になったことで、貧しい家の人でも、学才があり努力を重ねれば、一流の職に就け、出世することもできるようになりました
身分制社会では、将来なれる仕事も決まっており、親の跡を継ぐくらいしかありません
学歴社会を生み出すことによって、身分制度を抜けて、誰でも重要な仕事に就ける自由が与えられてきました
ですが、学歴社会が進むにつれて、知識を学んだものが偉いのだという錯覚も生み出しています
学業において優秀な成績を収めたから、それで自分は優れたものだという勘違いも生じてきます
そして学歴の無いものや、成績の劣ったものを見下し、慢心する心も生じます
現代で学んでいる知識そのものが、真理から見れば、だいぶ偏ったもの、あるいは間違いも多いのです
そのため、学校などで学べば学ぶほどに、愚かな人を生み出してきました
科学知識だけを頭に詰め込み、それだけで世界を推し量って、あの世など無い、死んだら終わりだ、霊など存在しないと思い込みます
それゆえに、学問を詰め込んだほど、神仏を軽んじ、あの世を否定する人間が出来上がってきました
そうした人がさらに重要な職についていくため、世の中はますます真理が覆われ、正しさが分からなくなりました
現代ではそうして、学問をして間違った道に入っていく人も増えます
知は魂を向上させるものでもあったのですが、生半可な知識や、この世的な学問によって、真理が失われ、魔道に陥っていると言えます
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3 件のコメント:
知識は道具で使われ方は人の心次第ですね。この世に産まれることを一緒に計画したり送り出した存在がいるとしたら、魂の方の親や先生がいると思ってます。特に地域の産土神様や氏神様は最寄りで引き受けてくれてありがたい。心の豊かさあってこその勉学、無理強いや詰め込みより、お天道様のもと自分を活かす道を見つけられたら、それが誰かを喜ばせることに繋がったら、幸せだと思います。
学歴のある人が霊的なものや神を否定する場合もありますが、もっとこわいのは、霊的な知識がありながら、それを呪術などで利己的に悪用している人がいるということかと思います。
霊的な知識があるかないかは置いておいて、心のきれいな人と関わらないといけないなと思います。
私の母は学歴史上主義でした。
「算数教えたから、東大合格できないのはおかしい。」
とアホな事言っております。
結局私は三流大学でしたが。
兄はそこそこ頭が良かったので、溺愛しておりました。結果兄はワガママに育ち、引きこもりになりました。
母は世間体欲しさに低賃金肉体労働を強要してます。
あまりのうるささに、言う事聞きましたが、もう限界です。