何かをしようとする時に「それは愛せる自分に相応しいだろうか?」と考えて戒める事があります
たとえば、人が見ていないからと言って、不正を働くような事も、それはバレないからいいと思っても、自分自身には嘘はつけません
そうした不正をするような自分は、はたして愛せるか?愛せる自分に相応しい事なのか?と考えて見るのです
世の中には黙っていれば得するような事もあるでしょう
たとえば、政府がコロナ禍での補助金などを出していますが、おそらく審査なども緩いでしょう
そのため、本当は自分には当てはまらないのに、どうせバレないだろうと思って、お金を受け取るような人たちもいるはずです
たしかに、そのようにお金を頂ければ、得したような気持になるかと思いますが、そんな自分自身をはたして真に愛せるでしょうか?
誰にも気づかれないからと言って、インチキや誤魔化しをしていると、それは本人の内に秘めている神性を傷つけているのだと思います
自らの持つ最も大切なものを泥だらけにして、傷つけてしまうようなものです
宗教やスピリチュアルでは、神様が見ているからとか、守護霊が見ているよという説明になるかと思いますが、そのように他の存在が見ているからしてはならないというのも、ひとつの教えでしょう
確かにそれは事実ですが、もっと大切なのは、その行為は愛すべき自分に相応しい事なのかと振り返ってみる事です
自分を本当に愛し、受け入れていくためには、自分で自分を肯定できるような、そんな思いと行動を取っていく事だと思います
愛される自分になっていきましょう
ほんとうに自分を愛せるようになれば、他人をも愛せるようになります
偽りの自分にサヨナラして、ほんとうの自分に帰っていきましょう
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