現代人にとっては、天国も地獄も、まるで昔話かおとぎ話を聴いているような気持ちでいるかも知れませんが、それらの世界は実在しています
善良の方たちの住む天国もあれば、残念ながら不調和な霊の落ちる地獄という世界もあります
昔から語られてきたように、死後に裁きを受けるというのは本当であり、それによってあの世での行き先が決まります
仏教的には、閻魔庁に浄玻璃の鏡があって、そこに死者の生前の行いが映し出されると言い伝えられています
浄玻璃というのは、透き通って汚れの無い水晶のことで、この水晶にすべての行いが映し出されるわけです
その鏡には、生前に行った事だけでなく、その人の思いまでなぜかわかるのです
また妖魔の正体を映し出す鏡として、照魔鏡というものもあります
行為としては良いこととしていても、実際に心の中が穢れていて、欲まみれであれば、それも映し出されてしまいます
そのため隠し事も出来ず、生前の行いはすべてバレてしまいます
浄玻璃の鏡というのは昔ながらの表現ですが、現在であれば映画の上映のように、スクリーンに映し出されるのです
嘘のつけない鏡に、生前が写され、その人がどんな人なのかが丸わかりになります
そのため清く生きなかった人は、むしろ自ら恥じて、光が照らされて自分の本当の姿を映される光の世界を避け、光の差さない暗い世界に赴いていきます
その人が真に悔いて、自らの過ちを恥じ、赤裸々な心で後悔するならば、光の世界へと上がっていきます
それまでは暗い世界で生活する事になるのです
また地獄の鬼と言うのも実際にいて、地獄に落ちてきた者たちを捕まえて食べてしまうものもおれば、教育者として派遣され、厳しいしごきによって悔悛させる者もいます
これらはけっして昔話でもおとぎ話でもなく、実際にあの世に実在する出来事です
いまこの世であざ笑っている者たちは、いずれあの世で衝撃を受けるでしょう
たとえこの世で悪事を行い、他人にバレずに、また法の目をかいくぐって逃れられようとも、死後にはすべてが白日にさらされ、言い逃れが出来ずに裁かれる事となります
因果の理法は何人もくらませず、相応の報いを受けるのです
この世に生きてるとこの世のことしか体感できず、まるで別世界のようなあの世が、しっかりとより明白に繋がっている不思議。死んだら終わりじゃないどころか、反省と改善は今やるか後回しにするか、できたら早く今を生きてるうちに、ですね。
返信削除自分では何も間違っていない、むしろ正しく清い思いで行っていると思いながら過ちを犯している場合が厄介ですね。
返信削除自己肯定感がやたらと強いヤクザみたいな人は結構いると思います。
悪い人が死んだら裁かれるのに良かった!って思いましたが、地獄の鬼達って、神様が依頼したのでしょうか?
返信削除あの世の水晶を見る時、後悔する事が多いだろうなぁと、人生を振り返ってみて感じました。今現在自覚している以上の悪事を沢山把握しそうです。
返信削除いつ呼ばれるかは分かりませんが、予め覚悟する事ができました。いつもありがとうございます。
ちなみに、数年前、「天国はどのような所ですか?」とカトリックの年配の神父様に質問をした方がいて、その場に私も居合わせたのですが、その神父様は次のように回答していました。
「天国ではGlorious Body(完全な体)となり、満ち足りた完全な幸せの中にいることになります。」
これは部分的には真理だと考えますが、実際には、今回の記事で取り上げられている「反省会」の後の話なのでしょうね。
そう易々と完全に幸せな状態になれる気はしません。
長文失礼しました。
いつもありがとうございます。
返信削除何事も、真面目に生きることですね。
頑張ります。
どれだけの人が自分は大丈夫と思えるのだろうか。
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