仏教の教えで諸行無常という言葉があります
みなさまも授業などで「平家物語」の冒頭に出てくる、諸行無常という言葉を聞いたことがあるはずです
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。
諸行無常というのは、この世のものは絶えず変化して、移ろい行くものである
いつかは滅んでいってしまうものであるとする、お釈迦様の教えです
たしかに、この世にあるものは、すべていつかは形を変えて失われていきます
堅牢な建物を作ろうと、数百年もすれば脆く崩れていくでしょう
日本は木造建築が多いですが、木の家は寿命も短く、百年とたたずに失われる事がほとんどです
日本で木造建築が多いのは、領土の多くが木に覆われた山林であり、木がたくさん手に入る事と、地震が多いため、外国のような石造りの建物は、地震で倒壊してしまうことが理由にあると思われます
外国では、頑丈な石造りの建物があり、長いこと残されている場合もありますが、それでも数百年か数千年すれば、失われていく運命にあります
生き物の寿命も決まっていて、昆虫などは翌年まで生きるものは少ないですし、動物も数年の命がほとんどです
人類は比較的なが生きな生き物ですが、それでも百年を生きるのは難しいです
百年を絶たずして、私たちの肉体は失われていきます
また地球などの惑星も、生き物からすれば気の遠くなるような寿命を有していますが、いずれは消えてなくなるものであり、永遠に残されるわけではありません
太陽も何十億年の先には、いずれは膨張していき、私たちの住む地球を飲み込むまでに拡大し、そして死を迎えます
そのように、この世のものは失われていくものです
しかし、お釈迦様は、すべてが失われていってしまうと考えたのではありません
この世のものはいずれ失われるのであり、別なものが失われずにあるのもまた事実です
すべてのものが失われるとすれば、お釈迦様の説かれたように、努力精進する必要もありません
お釈迦様の教えを間違って解釈したら、ニヒリズムの世界におちいってしまう可能性があるのです
お坊さんなどであっても、その点を誤解している人もいるように見受けられます
実際には、お釈迦様は修行を説かれており、すべてが消えてしまうのなら、それらも無駄になってしまいます
つまりは、失われ無いものがあるということです
それは何かというと、魂という霊的実体です
肉体は滅びても、魂は残り続けます
今世で修行し努力した事も、死んだら失われるのではなく、魂の経験として残されます
そのためお釈迦様は、諸行無常を説きながらも、努力の教えをうったえられたのです
この世のものは滅びゆくものですが、魂は存続し、行いや思いは未来へと引き継がれていきます
3 件のコメント:
惑星意識ですね。
惑星にも寿命があり、また人間でいう所の事故死のような形もあると聞きました。
願わくば、地球にも寿命をまっとうしてほしいです。
事故死でも、学びはあるとは思うものの。。
宇宙の中で存在する生命は、全てにおいて魂存在。この三次元世界の全ての人々がこの事実を認識するだけで、たったそれだけで、少しずつでも世界情勢は好転していくのに…
ただ、その事実を認識してもらうコトが一番難しいのですよね。
高次元霊の方々が時代を変え、降り立つ場所を変えながら生命の本質を説かれ続けられても、地球人類は同じ誤ちを繰り返しています。それほど簡単な事ではないのが分かります。
しかし決して諦めること無く光を与え続けられているのを感じます。慈愛に満ちたこの光のほんの少しでも、周りの人達に理解してもらえるように言葉にして伝えていこうと思います。
何だか複雑な気分です。察する思いがあります。
しかし、「たとえ…リンゴの木を植える」というお話を以前紹介して頂いたので、私はリンゴを植えるわけではありませんが、前向きに行こうと思います。
実はできないかもしれませんが、芽くらいは出るかもしれませんね。