私たちは完ぺきな人間でも万能でもありません
よく間違いを犯しますし、他人を害さずに生きるのも難しいものです
そうした不完全な私たちだからこそ、完全なものを求め、理想を求める力となっているのではないでしょうか
もしも私たちが何もかも完ぺきにこなす存在なら、理想を思い描くことも無いかも知れません
そして自らの至らなさを思うからこそ、完璧なる存在の神様を慕い、畏敬の念を抱くのではないでしょうか?
もしも人間が完璧な存在として作られていたなら、神様に感謝する事も忘れてしまっていたかも知れません
自分の至らなさを自覚し、反省する人間だからこそ、完全なる存在、理想的な存在としての神様を思うのです
私たちは自らを振り返って、「どうして自分はこうダメな人間なのだ」と嘆くこともあります
時には自己嫌悪に陥って、消えてしまいたくなる事もあるでしょう
ですが、もともと不完全に作られた存在なのが私たちであり、神様もそれでよしとして創造されたはずであり、また私たちは自らの至らなさに気づくゆえに、神様へと思い至るのです
であるならば、私たちは、自らの過ちは修正して行き、理想を描いて、その先へと歩みを進めていく事が大切ではないでしょうか
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まだ霊界のことをよくわかっていなかった頃...
返信削除うちのポストによく入っていた布教誌で描かれる神が神ならば、私は神の存在を信じたいとは思わない、と思っていました。
書かれていることは最もな気はしたのですが、恐怖に駆られ恐れおののくのが信仰ならば、そんなことはしたくないと思いました。
今は、霊界のことがよくわかるようになりまして、神様の区別がつくようになりました。
「神へと向かう」という言葉...
完全なる神の存在と、まだ不完全な神の違いについて詳しい方とお話しているうちに、ぽろりと出た言葉でした。
一致したことが、とても嬉しいです。
そこまで導いてくださった先生と、スクールの先輩に感謝致します。
このブログ文で救われる思いがしました。
返信削除ありがとうございます。
自分でいたらない自分を認めてあげれるようになりたいです。
いつもありがとうございます。
返信削除未熟な自分の欠点を日々、修正し、人生を全うするときには、欠点が少しでも無くなっているように、精進したいと思います。
理想ですけど。
この世の理不尽さを許せないと思っていました。
返信削除こんなことを許すなんてできるかと。
でも、「許せない自分を許す」ことにしました。
だからこそ、理想を描いて進むことができる。
地球を愛と光の星にすることを、私は決して諦めません。