私たちは完ぺきな人間でも万能でもありません
よく間違いを犯しますし、他人を害さずに生きるのも難しいものです
そうした不完全な私たちだからこそ、完全なものを求め、理想を求める力となっているのではないでしょうか
もしも私たちが何もかも完ぺきにこなす存在なら、理想を思い描くことも無いかも知れません
そして自らの至らなさを思うからこそ、完璧なる存在の神様を慕い、畏敬の念を抱くのではないでしょうか?
もしも人間が完璧な存在として作られていたなら、神様に感謝する事も忘れてしまっていたかも知れません
自分の至らなさを自覚し、反省する人間だからこそ、完全なる存在、理想的な存在としての神様を思うのです
私たちは自らを振り返って、「どうして自分はこうダメな人間なのだ」と嘆くこともあります
時には自己嫌悪に陥って、消えてしまいたくなる事もあるでしょう
ですが、もともと不完全に作られた存在なのが私たちであり、神様もそれでよしとして創造されたはずであり、また私たちは自らの至らなさに気づくゆえに、神様へと思い至るのです
であるならば、私たちは、自らの過ちは修正して行き、理想を描いて、その先へと歩みを進めていく事が大切ではないでしょうか
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4 件のコメント:
まだ霊界のことをよくわかっていなかった頃...
うちのポストによく入っていた布教誌で描かれる神が神ならば、私は神の存在を信じたいとは思わない、と思っていました。
書かれていることは最もな気はしたのですが、恐怖に駆られ恐れおののくのが信仰ならば、そんなことはしたくないと思いました。
今は、霊界のことがよくわかるようになりまして、神様の区別がつくようになりました。
「神へと向かう」という言葉...
完全なる神の存在と、まだ不完全な神の違いについて詳しい方とお話しているうちに、ぽろりと出た言葉でした。
一致したことが、とても嬉しいです。
そこまで導いてくださった先生と、スクールの先輩に感謝致します。
このブログ文で救われる思いがしました。
ありがとうございます。
自分でいたらない自分を認めてあげれるようになりたいです。
いつもありがとうございます。
未熟な自分の欠点を日々、修正し、人生を全うするときには、欠点が少しでも無くなっているように、精進したいと思います。
理想ですけど。
この世の理不尽さを許せないと思っていました。
こんなことを許すなんてできるかと。
でも、「許せない自分を許す」ことにしました。
だからこそ、理想を描いて進むことができる。
地球を愛と光の星にすることを、私は決して諦めません。