マシュー・オライリーさんはニューヨーク州サフォーク郡で救命士として働いています
彼は自動車事故にあわれた方や、様々な事件事故で命の危機にある人に数多く会われたそうです
駆け付けた時には、もう手の施しようもなく、死を待つしかない方もたくさんみられて来ました
命の危機に瀕した方は、「自分が亡くなるのか?」と救命士のマシューさんに聞くのですが、はじめは怖くて、正直にもう助からないとは言えず、嘘を言っていたそうです
ですがある方を救命している時に、彼はまた同じ質問をされるのですが、その時は正直に答える事を選択しました
すると自分の死を悟った方は、恐怖でおののくのではないかと予想していたのですが、実際には自分の死を受け入れて、安らかな顔をしたといいます
その後のマシューさんは、同じような死の淵にある人に会い、そしてもうじき死ぬことをお伝えしてきました
数々の亡くなる寸前の方を看られたマシューさんは、彼らに共通するものを発見します
もうすぐ訪れる死を待つ人には、性別や人種、宗教などに関係なく、おもに三つのパターンに分けられる事を言われるのだそうです
一つ目は「許しを求める」方です
死の運命を告げられた方には今までの人生を振り返って、後悔し、許しを求めると言います
ある方は彼に「もっと家族と過ごす時間を取るべきだった。自分のために時間を使いすぎた」と後悔を口にしました
私たちも、もうすぐこの世の寿命が亡くなると思ったら、過去を振り返ってみて、こうすべきだったとか、やり残したことを公開してしまう事があるのではないでしょうか
できうるなら、やり残しを残さずに、悔いのない人生を送って、あの世へと帰りたいですね
そして二つ目のパターンは「自分の事を忘れないで欲しい」というものです
愛するものの中で記憶に残っていたい、誰かの心の中に生き続けたいという願いです
マシューさんは死に瀕した方に「私の事を忘れないで欲しい」と言われたそうです
誰しも自分の存在が無に帰するのは怖いと感じます
そのため人類はずっと不死性、永遠性を求めてきました
しかしこれは、死ねば何もかも無くなるとする、唯物的な考えが下地にあると思います
死んだら何もかもがなくなるのだという思いが、無となる恐怖心となって、死に瀕して思い起こされるのでしょう
そして三つ目の、死に際してどうしても聞きたいこと、それは「自分の人生には意味があったのか?」です
人は自分の人生には意味があり、決して無駄ではなかった事を知りたいのです
自分の存在が無価値だったとは思いたくない、意味があったと信じたいのです
そのように、人間は死を目の前にして、おもに三つの事柄に思い至ります
いずれは誰しもが直面する質問であり、各自がその答えを出していかなくてはなりません
死ぬまでの間に、私たちはこの三つの問いに答えていかなくてはならないでしょう
マシュー・オライリーさんの日本語字幕の動画がありますので、以下に貼っておきます
本当に考えさせられる記事でした。
返信削除自分自身に対して、恥ずかしくない人生を送りたいです。
いつもありがとうございます!
たしかに、突然の事件事故なら、死ぬ覚悟なんてしてないから動揺しますね。
返信削除苦しい中、声をかけて何かしら答をもらって安心したいものです。
安心して見切りをつけて旅立てるように。