人前に出て何か発表しなくてはならない状況、たとえばクラスの発表会とか、冠婚葬祭のスピーチですとか、会社の朝礼で何か話をしなくてはならない時など、苦手とする人も多いでしょう
多くの人の前に立ち、注目を集めるような場面の時には、人はどうしても緊張してしまうものです
そして手には汗をかき、動機がして息苦しくなる、顔が真っ赤になったり、めまいや吐き気までしてくる事もあります
そうした症状に恐れて、「自分は異常ではないか?」と思ったり、無理に抑え込もうとすると、かえって症状が悪化してくる事があります
たとえば、普通の皿をお盆に載せて持って来れますが、それを「この皿は高価な品で、絶対に落としたりなどしないように」と厳しく言われると、かえって緊張して落としてしまう事があります
これは落とさないようにと注意を集中すればするほど、かえって意識が落ちる事にフォーカスしてしまい、普段できている事が出来なくなって、落としてしまうのです
他にも、綱渡りなどで同じような現象が見られます
低い場所に足の幅程度の板や棒を置いて、その上を歩いてみると、低い時には普通に渡る事が出来ます
それが落ちたら大けがや下手すると死んでしまうような高さに、同じ幅の板を置くと、とたんに震えて渡れなくなってしまいます
これは「絶対に落ちてはいけない」と落ちる事に意識が集中するため、逆に仏に出来ていた事が出来なくなり、落ちそうになってしまうのです
タイトルに挙げたような対人恐怖症、あがり症、赤面恐怖症などもそうで、人前に出るとどうしても緊張が高まって、普段通りに喋れなくなったり、大汗や動悸がしてきてしまいます
人間なら誰しも、あがったり緊張して顔が赤くなったり、動悸がしてしまうものですが、これを何とか抑えようとすればするほど、意識がそこに向いてしまい、かえって症状をあっかさせてしまうのです
他にも強迫症(強迫性障害)、社交不安症(社交不安障害)、パニック症(パニック障害)、広場恐怖症(広場恐怖)、全般不安症(全般性不安障害)、病気不安症(心気症)、身体症状症(身体表現性障害)など、かつて神経症と言われていた症状の方に、そうした傾向性が見られます
これを指摘したのは、日本人の森田正馬さんという方で、いまでは森田療法としてその両方を取り入れる所はたくさんあります
森田さんはこうした症状を引き起こす人に共通の性質を見出していて、彼らには共通して内向的、自己内省的、小心、過敏、心配性、完全主義、理想主義、負けず嫌いなどを特徴持っていると言います
こうした特有の性質と、「とらわれの機制」と呼ばれる心理的メカニズムによって症状が進展すると指摘しています
「とらわれの機制」には2つの機制があると言われます
第1は「精神交互作用」と呼ばれるもので、これは上記で紹介しましたように、例えば緊張して動悸がしたり、汗をかいたりした時に、神経質な人はこれを深刻に受け止めて、意識が集中してしまいます
するとかえって症状に意識が向きますので、過敏になってしまい、悪循環でますます症状が悪くなるのです
「とらわれの機制」の第2は「思想の矛盾」と呼ばれるものです
神経質な方は、自分の感情や身体感覚を「こうあるべきだ」と自分の考えのもとに従わせなくてはならないと思い込みます
たとえば人前でスピーチする際には、「恥ずかしく思ってはならない。もっと堂々としていなくてはならない」などと自分に言い聞かせます
しかし、人間の感情や感覚というのは、そうやすやすと思い通りには動きませんので、抑え込もうとすればますます症状を悪化させてしまうのです
このように思考でコントロールできない感情や肉体感覚をも、自分で従わせなければならないという矛盾の中に、症状を悪化させてしまう原因があります
人前でしゃべるのは緊張しますし、怖いと感じるのは普通で当たり前の事です
緊張してあがってしまう事や、赤面してしまう事、汗をかいたり、動悸がしてくる事は誰しもあります
こうした感情や体の反応を受け入れず、拒否してしまう所に問題の症状が悪化していくのです
森田氏は、患者さんが症状へのとらわれから脱して「あるがまま」の心の姿勢でいられるように促します
「あるがまま」というのは、不安や症状を拒否したり、排除しようとする「はからい」心を捨てて、そのままにしておく態度を養うことです
このように自分を受け入れて、自分らしい生き方を実現する事をとなえています
ひとつの参考になれば幸いです
2 件のコメント:
日本にはこのような療法があったのですね。
とてもタイムリーでした。
ありがとうございます。
自分が他人を気にするほど、他人は自分のことを大した気にしてないんだと、いつか気づいてから、自分らしさと自信が出せるようになりました。
それで営業が出来るようになりました。
上記は一種の自己暗示ですね。
これでいいのかわかりませんが。
自意識過剰にならないように…(祈)