全宇宙の実相は、神様の愛が循環している姿そのものです
愛のエネルギーが宇宙を形作り、循環していくことで時間と空間を生み出し、世界を作り出しています
仏教には諸法無我(しょほうむが、巴: sabbe dhammā anattā)という難しい言葉があります
諸法無我というのは全てのもの、あらゆる存在は、因縁によって生じたものであって、それ自体の実体性、それ自体で存在する自性性がないという意味です
存在するものは、さまざまな縁によって成り立っていて、それ自体単独では存在できないのです
それゆえにあらゆる存在(諸法)は、我というものは本来無い(無我)ということです
”私”という存在も有るようでありながら、神の愛が流れていく通過点のようなものに過ぎません
まるで川の水のように、たえず神の愛が流れ続ける事で存在しているように見えます
川ももし、水が流れなくなったら、それは川とは言えなくなるでしょう
上流から流れてくる水流があってこそ、川は存在を表します
この川を形作る水こそが、神の愛であり、遥か彼方の上流である高次元世界から流れおりて、私たちという通過点を通ってまた世界に循環します
もしもこの水を自分のものだと思って、川が流れを止めたらどうなるでしょうか?
水が滞り、腐ってしまうでしょう
人間もわれがという我が出てくる事で、神の愛の水の流れを妨げ、自分の身のものとしようとします
そこに滞りが生じ、腐敗を生みだしてしまいます
神の愛はすべてを生かし育むものであり、誰か一人のものでも、独占するものでもありません
わたしたちは神様から受け取った愛を握りしめて手放さないようにするのではなく、周りへと循環しなくてはなりません
循環するゆえに、愛の水は清らかに流れ、腐敗することなく人々の咽喉を潤すのです
1 件のコメント:
もう✨愛✨を流し続けるしかないのですよね
すでに神より頂いている✨愛✨の循環を止めてしまっては、幸福で美しい光の世界は展開されないということなのですね
20代頃のある朝、研修へ向かう目的地までの車外の景色(特に花、樹木、朝陽、空などの自然物)から✨愛の波動✨が強烈に伝わってきて、思いがけず涙が流れた体験があります
その時に「この世のもの(多次元宇宙もそうですけど)は✨愛✨でできてる!!!」って波動として知り得ました
高次元から流れ来る✨愛✨のエネルギーを周りに流せる自分になりたいです
無限に流れ来るものなのでケチケチ出し惜しみしていてはいけないですね😆