2020年10月31日土曜日

鬼の正体と起源と古代日本の宇宙人 レプティリアンとの関係



「鬼滅の刃」が世間で流行っていて、当ブログでも取り上げたことがありますが、そもそも日本の鬼の正体について探求したいと思います

「鬼(キ)」という漢字は中国から渡ってきた文字ですがもともとの意味は「死者の魂」を示していて、中国ではそのような使い方をします

日本に鬼の字が伝わって、古来からあるオニを当てはめて現代の鬼に繋がってきました

牛のような角を生やして、虎のパンツをはいているという姿は、鬼門という方角から来ていると言われます

中国では方位を十二支を使って示す習慣があり、鬼門とされる方角は東北で、「丑(うし)」と「寅(とら)」の間としてあらわされます

そのため牛の角を生やし、虎のパンツをはいた、牛と虎を合わせた現代の鬼の姿が定着してきたと言われます

ただ、それゆえ人間の想像で作られたかというと、そうではなく実在のモノとしております

古来からオニそのものはいて、それが伝来の文字や象徴などで表現されていますが、昔の日本に実在していたものです

では鬼とはどのような存在だったのでしょう?

「鬼滅の刃」の漫画の中でも描かれていますように鬼は人間を食べるという性質があるとされています

食人の性質を持った者たちだったわけです

日本の古代にそうした者たちの痕跡を辿っていけば、一番古いものでは、古事記などに描かれる須佐之男命の八岐大蛇退治があります

神話では村から若い娘を八岐大蛇に生贄として差し出していたとあります

須佐之男命がやってきて八岐大蛇を退治して、生贄になりかけた娘を嫁にもらうという話になっています

この事から、古代の日本の一部には生贄を捧げる風習があったのがうかがえます

それを大和朝廷につながる須佐之男命が成敗して、こうした風習を終わらせたという事を現わしているでしょう

では、この神話の八岐大蛇とはいったい何を現わしているでしょうか?

実際には八岐大蛇には幾つもの意味合いが象徴的に投影されて作られています

その一つには、古代の日本における爬虫類型種族の存在を象徴的に現わしている部分があります

日本には古来は竜という概念がまだ入ってきていない時には、ドラゴンと呼ばれるようなものも大きな蛇としてあらわされてきました

この八岐大蛇というのも、爬虫類型の存在をあらわすもので、古代の日本にはまだ爬虫類のような鱗を持つ者とか、牙や角、尖った爪などを持っているものがいました

それらは実は、現代、爬虫類型宇宙人=レプティリアンと言われているものの遺伝子を一部持っている者たちの事です

地球にきたレプティリアンの中には、人類と遺伝子をかけ合わせた者がいて、それが神話の時代にはまだ残っていたのです

彼らの姿が大蛇として表現されることもあれば、角を持っている事から鬼として表現されても来ています

レプティリアンというのは肉食の宇宙人で、時として人間も食料とするものたちです

かなり凶暴な種族ですが、それらの末裔が古代の日本にも住んでいて、人間を生贄として食べたりしていたわけです

爬虫類型宇宙人と地球人とのハイブリットを作り、地上に住まわせていたわけです

そして彼らが地球人として生まれ変わるための器として、ハイブリット種は使われていました

彼らは狂暴性を持っていたため、他の集落を襲っては、人間を捕まえて食べる事もしていたようです

人間の村人たちは全滅するのを恐れて、定期的に生贄を差し出すことで、レプティリアンの部族たちと折り合いをつけていました

それを大和朝廷側がレプティリアン部族を退治して、生贄を終わらせたという歴史があります

こうした歴史の流れが、須佐之男命の八岐大蛇退治に反映されている部分があるようです

世界の歴史には神が人間の生贄を求めるという伝承がありますが、これらには古代に訪れたレプティリアンの存在がいたでしょう

アメリカのテレビドラマ『V』という作品にレプティリアンが描かれていますが、まさにあのような感じで、姿は爬虫類のようで、人間をも食べてしまう者たちです

レプティリアンのなかには地球人と同化して、善良になって来た者たちもいますが、やはりネガティブな側面の強い者たちが多くいます

『鬼滅の刃』ブームの背後にも、鬼と呼ばれる古代の滅ぼされた部族もおりますが、さらにその奥にはレプティリアンが暗躍しているでしょう

最近の漫画の中には食人をテーマとしたものが多く「約束のネバーランド」や「進撃の巨人」、「GANTZ」、「東京喰種トーキョーグール」、「食糧人類」などがあります

これらのブームにもやはり彼らの策略があって、自分たちレプティリアンへの心理的抵抗を無くしていき、人々が受け入れられるように下準備をしているものと思われます

関連記事



2 件のコメント:

  1. 鬼滅の刃などの娯楽作品も、鬼やレプティリアンに慣れさせるための手段ということ。本当にそうなら怖いなあと思います。物事って、物語になることで、悪役までも美化されたり、感情移入させられますね。あと、自殺など絶対ダメなことでも、まるで夢のような綺麗なこととして描かれることもできますし。そして子ども達ほど、物語が大好きで没頭しますからね・・・。前回の記事でも警告されていましたが、子ども達にはしっかり現実感覚を身に着けてもらいたいのと、危険のない作品にふれてほしいです。清濁併せ飲むについては、物語じゃなくても、現実の中で併せ飲んでもらいたいです。

    返信削除
  2. 生贄という言葉に心が沈みます。
    以前、通過儀礼という言葉が苦手とコメントしたことがあるのですが
    大人になることで辛い体験をした、儀式で辛い体験をした、そういう魂の記憶があるのかもしれません。
    神話では若い娘を差し出していたとのこと、もしかしたらただ食らうだけでなかったのでしょうか…(バイデン親子のしていることと通じますね)

    当時の村人は怖かったでしょうね。
    生贄になった人も辛かったでしょうし、差し出す側も辛かったでしょう。
    須佐之男命の出現は本当にありがたかったことと思います。
    トランプ大統領も同じことをしてくれているのですね。

    それにしても漫画やアニメを通じて抵抗感をなくそうとしているだなんて、レプティリアンも随分地道にやりますね(笑)
    ただ攻撃的なだけでなく、狡猾でもあるのですね。

    返信削除

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。