通過儀礼というのは人生の時期を区切って、新しい段階に進むための儀式などを言います
ある一定の決まった儀礼をおこなう事によって、今までと違う、新たな段階へと進むことを自覚させる意味があったでしょう
現代ではこうした通過儀礼という考えが気薄となってきて、人々は人生の各時期を明確に意識しなかったり、自覚が薄れる事に繋がっているのかも知れません
もちろん個人個人の事情がありますが、社会全体として様々な問題が出てきているのも、通過儀礼が無くなって来ている事も一因となっているかも知れません
そこで古来の日本での通過儀礼について述べてみて、霊的な観点からも述べてみたいと思います
まずこの世へ生まれ出た誕生から話をします
子どもが生まれて三日目、あるいは七日目になると雪隠参りをする地域も関東地域ではあったようです
雪隠とは厠=トイレの事で、トイレの神様にお参りするというものです
これはトイレというのはこの世とあの世の境になっていて、生まれてきた子どもにこの世=現世にいる事を自覚させ、神様に魂を入れてもらいためだと言われます
ちなみに妊娠とトイレとの関連は他にも全国的にあり、たとえば妊婦がトイレをきれいに掃除すると綺麗な子供が生まれるとする伝承があります
人気となった「トイレの神様」という植村花菜さんの歌でも、トイレには綺麗な神様がいて、綺麗にしていると美人になれるという話が歌詞になっています
トイレに存在する神様という考えはありますが、実際には特定の神様というよりも、祀ってい欲しいと思っている霊存在などがいて、それらが人々の思いに引き寄せられて来たりしている事も多いのかなと思います
必ずしも言われている神様に関わる者だけでなく、ご先祖の霊であったり、近くで祀られていたような祠に関するような霊が来られている場合があるのでしょう
トイレに神様が必ずしもいらっしゃるわけではありませんが、トイレを綺麗にしておくと、不浄になりやすい場所ですので、悪い気を溜めない事になって、結果的に良いことなのだと思います
神様がいるという事で、それだけ疎かにせず、綺麗にしておくことが大切だという教えでしょう
次に日本では男の子は生まれてから32日目、女の子は33日目に初宮参りをする地域が多いようです
地域を見守る氏神様に生まれたことをご報告にうかがいます
この初宮参りでは、額に「犬」や「小」という文字を紅で書くという風習の地域もあるそうです
これはもともと、魔よけの意味で墨を使って額にバッテン「×」の印をつけていたことが由来だったようです
この「×」の記号がいつしか「犬」等の文字に置き換わってきたようです
霊的には額に何を書くかは重要ではなく、きちんと氏神様にもご報告し、お守りいただける印ともなっているという事でしょう
余談ですが、キリストが青森県の新郷村に到来したという伝説がありますが、この村では、生まれて間もない子供を外に出すとき、子供の額に墨で十字を書くという風習が古くから伝わっているのだそうです
これはキリスト教の印というよりも、日本に古来からある額にバッテン「×」を書く風習が残っていたのかも知れません
次に生後100日の記念には「お食い初め」を行います
おもに鯛、赤飯、お吸い物、煮物、香の物の5品を用意する所が多いようです
これらの食事を子どもに食べさせる真似をします
これは子どもが食べ物に困らなくなるようにとの願いが込められた儀式です
続いて「歯固め石の儀式」を行う所もあります
二個の小さな石を用意して、それに箸で触れ、その箸を今度は赤ちゃんの歯茎に触れさせるというものです
これは丈夫な歯が生え揃うようにとの願いを込めた行事です
儀式事態に意味は無いかと思いますが、子どもを思う気持ちをあらわした行事という事ですね
そして毎年3月3日は女の子、5月5日は男の子の祝をします
3月はひな人形を飾り、5月は鯉のぼりをそれぞれ飾ります
ひな人形は良い結婚が出来るように、鯉のぼりは出世出来るようにとのそれぞれの願いがあるのでしょう
次に七五三もあります
三歳の男女の子、五歳の男の子、七歳の女の子が、氏神様に成長のご報告と感謝をし、健康を願ってお祓いをする儀式です
地域によって年齢や男女の違いがあります
このように幼いころにお宮参りをしたり儀式が多いのも、それだけ昔は幼いころに亡くなるケースが多かったからでしょう
まだ医療が発達していなかった昔は、乳幼児の死亡率が高く、七歳まで生きられることがありがたかったのだと思います
子どもが7歳を過ぎると、子ども組に入れられるところもあったそうです
年長者に習いながらいろんな行事をおこないます
身体も十分に育ち、親から離れて社会勉強をする時期に入っている事を示すものでしょう
そして次に成人式があります
今は成人式というと20歳に行われています
もともと成人の儀式は、13歳から15歳ころまでに行われていたそうです
男の子はその頃に元服式が行われ、女の子は裳着という儀礼がありました
昔はそれで子ども時代から卒業し、大人になるとされていたわけです
成人の儀では厳しい通過儀礼を通って、大人になる覚悟を自覚させるものが世界的にあり、いまは娯楽となっているバンジージャンプも、もとは成人の儀で行われていたものでした
こうした成人の儀式を行う事で、子ども時代が終わって、大人になる事への自覚を促しています
成人した者たちは、次は結婚が待っています
結婚した男女を祝うための儀式が世界各地にあります
現在でも教会や神社などで結婚式を挙げる人も多いでしょう
独身だった時代から離れ、これからは夫婦で生きていく事を示す儀式です
神仏の前で約束する結婚式を行うのは霊的にも意味があると思います
ただ男女がカップルになって付き合う場合には、色情面で波長を落とす場合があるでしょう
それが皆から祝福される儀式を行い、正式に認められることでそうした問題が解消されていくと思います
結婚後には妊娠と出産が待っています
妊娠すると五か月ほどで腹帯を巻く習慣がありました
もともと子(ネズミ)日につけていたそうですが、時代が下ると戌(イヌ)日につけるようになったそうです
ネズミもイヌも多産ということで、それにあやかった儀式です
これ自体に意味は無いでしょうが、人々の安産と多産を願った思いが込められた行事という事ですね
そして日本では厄年という考え方があります
男性は数えで25歳と42歳、女性は数え19歳と33歳になります
これらの年を本厄といい、その前後を前厄、後厄と呼びます
この時期は身体の生成の循環において、病気になりやすい時期に当たっているからとする考えもあります
そのように健康に気をつけたり、人生を振り返る時期と考えるといいかと思います
厄年について霊的意味があるかというとおそらく無いでしょう
厄年には悪いことが訪れるというものでもありません
ただ人間の身体はその頃に不調が現れる生命のサイクルはあると思いますので、体調などに気をつける時期であると思った方がいいでしょう
働き盛りだった時期から、次は隠居の時期になります
長男に家督を継がせて、自身は隠居の身となるのです
女性の場合には、子どもの嫁さんなどに引き継ぎます
地域によってはお嫁さんにしゃもじを渡す儀式もあるようです
次の世代に仕事を引き継いでいきます
現代では財産などの引継ぎをすると税金がたくさんかかってしまうため、生前に家を引き継いだりすることも少なくなっていると思います
また今は地方に住んでいた人も仕事で東京などの都会に出ていく事も多いため、居住空間が別となるところも多いでしょう
現代では親から子に引き継ぐという習慣は廃れていこうとしているようです
そして60歳になると還暦の祝がありますし、88歳には米寿祝など、長寿を祝う儀式があります
他にも白寿とかいろんな祝いはあって、お年寄りが大切にされるのは良いことです
よくない時期には姥捨て山など、お年寄りを捨ててしまう事も起こっているので、長寿を祝えるというのは社会がとても良いことです
日本も将来は高齢化が進んで、若者が減っていってしまう現象がこのままだと起こるため、また姥捨て山のような高齢者を切り捨てる制度が出てこないとも限りません
長寿を祝える世の中であって欲しいものです
そして人生の最後には死の儀式があります
日本では地域によって「魂呼び」といって息を引き取った人の名前を大声で叫ぶというものがあります
これは魂にもう一度肉体に戻ってこさせるためのものでしょう
すでに亡くなってしまった場合には、もう無理かもしれませんが、あの世とこの世をさ迷っているような時には、その人の親しい人が名前を呼んであげると、この世に戻ってくる場合もあります
死の淵に立っている魂は、あの世へ帰るか、地上へ戻るか迷っている事もありますので、その時に名前を呼ばれると戻る事もあります
これは臨死体験者の証言でもあり、川の向こう岸にすでに亡くなった故人が迎えに来ていたのですが、後ろから自分の名前を呼ぶ声が聞こえたので、振り返ってみると病院のベッドに戻っていて、家族が周りを囲んでその人の名前を呼んでいたのだと知ります
このように名前を呼ばれたから戻ってきたというケースはあります
ただ、あの世の光の世界は、本当に気持ちの良い世界で、至福に満ちている所だったのが、大声で名前を呼ばれて、苦痛の多いこの世に呼び戻されたため、「なんで呼び戻したんだ!」と怒られるケースもあるようです(笑)
また「末期の水」というのも、もとは生き返ってもらいたいという思いから行われていたようです
その他に枕元にご飯を置いて箸を二本たてる風習もありますが、これはかつては雑穀ばかりで白米はなかなか食べられなかったため、亡くなった時にはせめて白米を食べさせたいという供養の思いから来ているようです
ご遺体は旅装束を着せて棺に入れられます
これは今からあの世への旅に出る事を示しているものです
死後には初七日や四十九日など法要を行います
これは死者の魂があの世の旅をして、無事に浄土(天国)へ行けるためになされるもので、仏教では四十九日で次の世界へ移行すると考えられます
実際にはどうかというと、亡くなられた方の魂は、ある程度の期間はこの世に留まっていて、遺族などの様子を見ている事があり、それが大体四十九日までには終わるようです
人によってばらつきはあるかと思いますが、四十九日ころにはあの世のへと旅立っている事が多いようです
ただ、あの世を信じていないような方は、死後もスムーズにあの世に旅立ちませんので、この世に留まり続けている場合があるようです
四十九日が終わった後も、一年忌や三年忌、そして三十三年忌まで続いて、これをもって弔い上げとなります
日本では古来からの考えとして、この年忌が過ぎる間に、故人の霊は祖霊と一体となっていくと考えます
そして祖霊の一部が肉体に宿って新たな子どもとして誕生してくると考えられています
霊的真相からすると、祖霊と一体化するのではなく、人霊は個々人としての意識をもってあの世に住み、また時期が来たらこの世へと生まれ変わる輪廻転生を繰り返す存在です
この世とあの世を行き来するというのはその通りです
このように儀式には霊的にも何らかの意味が含まれていたり、それほど意味の無いものも確かにあります
何かの参考になりましたら幸いです
4 件のコメント:
通過儀礼という言葉自体が苦手で、特に思春期以降は儀式のようなもの全てに拒否感があり、成人式は出ませんでした。
人前に晒されて祝われることが基本的に苦手で…何か過去生にトラウマでもあるのですかね
本当はキチンとしないといけないものなのですよね。
思春期の頃は、通過儀礼が形式だけのものと思い、一切興味を持ちませんでした。実際に、その時期の荒れた心は、神仏に届くものでもなかったと思います。
社会の中の人間関係で嫌な思いなどしてから、形式的な挨拶だとかをきちっとしないと、心がグチャグチャになることに気付きました。
今は形式の中に神仏の心があるイメージを持っています。
現代人は昔と比べて地域の神社やお寺との関わりが薄くなったと思います。それがこういった宗教的な儀式が少なくなった一因なのかなと思います。
私は1歳の誕生日に大きな餅を背負わされました。一升餅などと言って、その名のごとく一生食べ物に困らないようにという願いを込めて行われるもののようです。
泣きながら背負わされていたことを僅かに覚えています。
私も家が貧乏だったのと、表に出たくない性質で、晴れ着を着て成人式に出るのが嫌で出ませんでした。
そして処女を失うのがなぜか異様に怖い。子供を産むなんてもっての他。なので結婚するのも怖い。
大人になる通過儀礼的なものを拒否している自分がいます。
神様から見たら嫌なことを避けている甘ったれなんでしょうか。
そんな自分にとっては家を出て働き自立したことが唯一の通過儀礼的なものでしょうか。
せめて健康に働き続けて社会の役には立ち続けたいです。