仏教では「空」という言葉が説かれています
空とはからっぽで何も無いという意味ではなく、すべてのものが原因と縁によって結ばれて生じたものだというものです
私たちは目に見える物が実在しており、固定された不変なもののように思えますが、実際には仮に合わさったものであり、縁が解かれれば消えてなくなるような儚いものです
仮にヒマワリの種を持っていたとしましょう
その種を土に撒いて毎日水をやる事で、綺麗なヒマワリの花を咲かせます
目の前にあるヒマワリの花は、そのもとに種という原因があり、適切な土壌や水という縁があったからこそ、花として目の前に現れてきています
原因と縁とによって結ばれたものがヒマワリの花であり、(原)因縁が無ければ存在しないものです
ヒマワリの花というものは、(原)因と縁とが合わさった所に生じてくるものです
例えるとあの空に浮かぶ雲のように、一時期は存在しているように見えて、時が経つと消えてなくなります
私たちの目の前にあるすべてのものも実体があるように見えますが、時間を進めると消えてなくなってしまいます
あらゆる存在は流動的であって、他の存在と相互に関わり合いの中で生じているということです
そいう言う意味では、この世のあらゆるものが本来は空であると言えるわけです
その真の空である現実世界が、私たちの面前で妙なる姿を展開することを「真空妙有」といいます
本来は空である私たちがこうして今、現象として現れているという事は、尊いことであり妙なる存在だということです
大宇宙の生命が『わたし』としていまここに現れています
『わたし』という現象は意味を持って生じて今あるのです
意味も無く生じてきたのではなく、生まれる意味があって目的をもって因と縁とが結ばれて生じてきています
『わたし』という存在があるのも、無数の命がそこに関わっており、無数の宇宙の存在と繋がっているのです
『わたし』が今あるのも、ご両親がいて生まれてきており、そのご両親にもまた両親がいて生まれています
さらに祖父母にもそれぞれに両親がいて・・・と無数の数の生命のリレーの中に今います
そして私たちを生かしていただくためには、適切な日光が必要であり、水と空気と植物が出す酸素が必要です
様々な命をいただいて生きており、肉体先祖の食事とのなった生命の数だけで膨大なものとなります
そのように様々な縁によってわたしたちは生かされているのです
この世のあらゆるものが「わたし」を生かすためにあり、苦しみも悲しみも、悪と見える物もすべてが「わたし」を導くために存在しているのだと悟る事
これが「真空妙有」という言葉の意味です
世界の実相を現わす言葉が『真空妙有』であり、それを知った時に、曇りが晴れて輝きの世界を見ます
素晴らしい言葉ですね!
返信削除生きる事、今生きている事は素晴らしい事ですね。考えると深いですし、ジワジワと心にしみる言葉です。
日々、感謝です。