私たち一人一人の魂というのは、霊的にたとえると巨大な樹の先に生える、一枚の葉っぱのような存在です
この巨大樹は、北欧神話に登場する、世界を体現するユグドラシルでありますし、神秘思想のカバラーで言う生命の樹でもあります
葉っぱの周囲には、同じ枝から生えている葉っぱがあり、それが魂の親しい仲間たちです
近くにある葉というのが、自分の兄弟や家族のように、親しい間柄の魂ということです
このように近い遠いはありますが、すべての魂が大きなひとつの樹の一部であり、互いにつながりあった存在でもあるのです
それゆえ互いに愛し合う事が求められているのです
葉っぱは一定の期間で生え落ちて、また新たな葉っぱが出てきます
それは人の魂の輪廻転生を現していて、私たちは何度も生え変わってきます
そしてすべての魂は、この巨大樹に繋がりあい、葉っぱ一枚は、自分が独立した存在のように自覚していますが、実は、すべてが一つとなって繋がっています
マイナスの思いに染まった魂というのは、病気にかかった葉っぱのようなもので、それが周りへと感染していってしまいます
健康な葉は、それを阻止しようとしますが、現在は病が広がっている状態です
このまま広がり続けてしまうと、巨大樹全体に病が蔓延し、危険な事となてしまいます
それゆえ浄化が必要となってきています
過ちを悔い、反省して綺麗になる事で、また元なる存在へと繋がっていくのです
互いに愛し合う事と、反省とは、魂が根源へと帰るための大切なツールです
※スピリチュアルについての概要は「スピリチュアルとは? その意味と主要人物」の記事を参照ください
3 件のコメント:
私たちの魂は、神様と同じ愛のエネルギーで創られています。
だからこそ、引き寄せの法則など、本来は神様のものである力も一部、使えたりするのです(もちろんそれは、自分のためでなくみんなのために使うべき力として魂に与えられているものなのですが)。
だからこそ、愛でできている魂はには本来は傷つけ合うことなどできないはずで、お互いを大切に思いやり助けあい、あたたかく満たされながら共に生きる存在でした。
それがいつからか、空気や水や太陽の光を惜しみなくくださる神様の存在を忘れたことでエゴが生まれ、傲慢にも自分の力だけで生きていると錯覚し、自分中心となり周りの魂を傷付け損なうものが出てきました…
それはある意味、神様の体の中に存在する細胞である私たちの一部が、悪性腫瘍(いわゆる癌細胞です)に変化して周りの健全な細胞たちまでを食べて蝕んでいくのによく似ています…
例えるなら私たちは、神様という大きな木にできた葉でもあり、神様という大きな体の中で動く細胞でもあります。
エゴによって周りの葉まで枯らしたり周りの細胞たちまで癌細胞化していくのか、
思いやりによって美しく紅葉したり元気いっぱいに愛で満たされながら共に助け合って動くのか、
どちらが良いのかを選ぶのは自分であり、選んだ結果を引き受けるのも自分なので、その責任は全て自分にあり、誰のせいにもできません…どんな結果も自分の意思と行動によってやって来るので、人のせいにできません。
だからこそ、周りの葉を枯らしたり周りの細胞たちまで癌化することがないように生きねばなりません…でないと大変な苦しみを背負う結果になるからです!
洪さんのメッセージはいつもとても穏やかで優しいですが、実はとても大切な意味が込められていることを皆さんもお分かりだと思います。
今の自分に起きていることは自分の普段の言動が引き起こしたものなので、誰のせいにもできません。
枯らす葉になるのか、活かす葉になるのか。
癌化する細胞になるのか、健全な細胞になるのか。
選ぶのは自分です。
その結果を引き受けるのも自分です。
自分がどちらの存在でありたいのか、自分の胸の中の魂にも聴いてみてくださいね。
(イエスさんより)
はじめまして、かなり前から毎日読ませていただいておりますが初コメントになります。
洪様の本日のブログに衝撃を受けました。
わたしは霊感など特別な力は全くありませんがアミ小さな宇宙人が好きでこちらのブログにたどり着きました。
以前、宇宙にとても大きな木があり1枚1枚はそれぞれの魂を表していると言ったビジョン?夢のようなものを見たことがあります。
内容も本日のブログとほとんど同じでこんなことがあるのかととても驚きました。
その時、木の名前は「ノビル」と言っておりました。
自分だけが太陽に当たろうと邪魔をしたり欲張ってしまうと枝全体、ひいては木全体がやがて枯れて結局は自分も苦しむことになる。
遠くの葉っぱは見えないし気づかないけれど繋がっている。
全ての魂は協力し合い譲り合って木の大きな成長を目指しなさいと言った内容でした。
そんな大層なこと私は思いつきもしないので不思議だなぁと思っていたのですがそれ以来いつも心に留めていました。
ユグドラシルは存じ上げないので調べてみようと思います。
貴重なお話をいつも有難うございます。
これからもブログ楽しみにしております。
スクール生です。この記事を読んで悶々と考えておりました。
というのも、自分では真面目に学び続けているつもりなのですが、このところすっかり生きている実感が遠のいたような、まるで乾燥野菜にでもなったような心地で生きていたからです。
日常は平和そのものなのに一体どうしてなのか、ぼんやり悩んでいたところにグサリと来たのがこの記事です。癌細胞のように悪い影響を与えてしまっていないかという自問自答が湧きました。少なくとも周りを幸せに出来るオーラが出ているとは思えず…
スクールの満月や新月の際に行われる瞑想のワークで感じたこと、記事から感じたこと…
それが突然ふっと答えにつながりました。
「魂の堕落とは、生きていることの喜びや存在している奇跡への驚きなどを忘れ、自ら心や命を枯らしていく有り様なのかもしれない」
実のところ私は大変雑な人間であり、ドアを後ろ足で閉めたりお皿をしまう時の音が大きいタイプです(笑
でもそんな雑な動作をしている時に、自分の心は貧しくてギスギスしているように思えました。
「当たり前のもの、こと」「壊れても替えの効くもの」とどこかで無意識に思っているから雑に扱えるのです。
「新鮮で喜ばしいもの、こと」「目の前に現れてくれた大切なもの」と喜び、奇跡を噛みしめながら扱うから感謝が芽生え、満足するのでしょう。
波動の高い人、落ち着いている人、一緒にいて心地よい人は大抵色んなことを丁寧になさることに気付かされました。
アラッ、やだわ。
人に対してもコミュニケーションが雑になり、しっかり目を見て話を深いレベルで聞けていないのでは?
歩く一歩一歩、速足で無感動に歩きその地面を神様が造られたこと、その道をどなたかが汗水垂らして作られたことを忘れていないか?
子供の寝顔をじっくり堪能していないのではないか??
ハッとして幼い頃のような、「ここにいる」ことへの驚きを一瞬思い出した時、心に生きている感覚が戻ってきました。
私はスクールにいながら、なんと魂の堕落をしかけていたのです。
ハッキリと証明してしまいました。<環境や周りのせい>ではないのです。このままでは自分が自分を癌細胞のまま死なせてしまうところだったわけです。それどころか周りにまで癌を、、
とはいえ、私のように忙しく雑に生きて心が乾燥野菜になる方は現代社会において少なくないのではないでしょうか。
あまりに沢山の人口から、あまりにたくさんの欲が生じ、それを満たすためにあまりにたくさんの富が必要になりあまりにたくさんの時間を費やさなくてはいけなくなる。これが現代社会。
社会構造そのものがまるで名著「モモ」でいうところの<灰色の男たち=時間泥棒>のようです。
もしかしたらコロナをはじめとしたアースチェンジの概要とは、人間に手に負えなくなってしまった「心を殺す」社会の構造を天の愛により根本的に造り直してくださることなのかもしれません。
その途中で我々のような儚い葉っぱの一枚一枚は一体どうなることやら、ですが、いつか生まれてくる元気いっぱいの幼い芽たちのために地球という生命樹が癒されますように願います。
長々と失礼いたしました。