今から約二千五百年前の北インドにある釈迦王国にゴータマ・シッダッタがお生まれになりました
釈迦というのは、もとはお釈迦様の出身の部族の名前の事です
釈迦族にお生まれになった貴い方という意味で釈迦牟尼(Śākyamuni)と言い、そこから仏教の開祖であるゴータマ・シッダッタを私たちはお釈迦様と呼んでいます
他にも目覚めた方という意味で仏陀と呼ぶこともあります
お釈迦様は王子としてお生まれになりましたが、長じてより人生について思いふける事が多くなりました
有名な話として四門出遊というものがあります
お釈迦様がまだ出家されずに王子であった頃、お城に東西南北の四つの門がありました
ある日、お釈迦様が東の城門から出られた時に、道端に歯が失われ、腰が曲がって、しわの深い老人の姿を見ます
はじめて老人を見たお釈迦様は「人間は誰しもあのような老人の姿になるのだ」と憂いました
また別な日には、南門を出ると、病気で苦しむ病人の姿をはじめて見ます
さらに西の門身体られた時には、多くの人が泣いて歩く姿を目撃します
「あれは何をしているのか」と聞くと、死人が出たので葬式をしている所で、これから死体を焼くところだと言います
お釈迦様は動かなくなった死体が焼けて、骨だけになるさまを見て「人はいつか死ぬ存在であり、その宿命からのがれられないのだ」と思います
そして最後に北門を出られたとき、出家した僧侶の姿を見ます
生老病死の四苦の逃れられない苦しみが人間にはありますけど、それを超えて真理を求める道もあるのだと思うようになります
そうしてお釈迦様は王子という身分を捨て、真理を悟るため出家なされたのです
出家されたお釈迦様は厳しい苦行に打ち込みます
当時は苦行をする事で悟れると思われていたのです
苦行とは肉体を痛めつけたり、断食して欲を断つなどがあります
お釈迦様の姿を彫った仏像には、その苦行時代のお姿を描く物もあります(トップ画像)
激しい苦行に打ち込まれたお釈迦様は、ガリガリにやせ細ってしまいます
実に6年間も苦行をされたそうですが、ついに「これでは悟れない」と分かります
お城の中の楽な生活の中にも悟りは無かったが、苦行の中にも悟りの因は無いと悟ります
お釈迦様は苦行を離れて、一人静かに菩提樹の木の下で瞑想を行います
そしてついに偉大な悟りを開いたと言われます
その悟りというのが、三明を得て四諦あるいは縁起を悟られたという事です
まず三明というのは、自分と他人の未来を知る天眼通、自他の過去世を知る宿命通、煩悩を断って明智を得る漏尽通の三つの能力のことです
人間の過去世の姿と、そして未来世の姿まで分かり、煩悩が苦の原因として生じている事を知り、それを断つことです
仏教でもお釈迦様を唯物論を説いたように言う人もいますが、この悟りを見れば、人間は今世だけの存在ではないし、霊的な能力も持たれていたことが分かります
過去や未来を見通せることで、今の苦しみの原因が分かるわけです
今起こっている出来事は偶然に起こったことではなく、理不尽に不条理な出来事などではなくて、過去に撒いた苦の原因が、結果として結集したのです
この因果関係を述べたのが四諦であり、縁起なわけです
種がまかれることで植物が成長するという結果を生みます
何事も原因が無くしては結果は生まれず、世界は因果の中になる事を説かれています
人間には過去世があり、未来世もあり、今世の苦にはその原因が必ずあり、今世の行為がまた未来の苦の原因となるとするものです
これをお釈迦様は悟られたという事です
3 件のコメント:
本で読むよりもとても分かりやすいです。
いつも有難うございます。
久遠の仏陀など悟後の悟りは、続いておられた。初期の悟りは、そうてすね。
前世の因果で今の自分がいて、それに相応しい環境で今を生きているなとは思います。それは仕方ないとして、今生の生き方次第で来世が良くも悪くもなると知っているのに、大して善行をしてない自分に首をかしげてしまいます。人に意地悪はしないし、可哀想な人には同情して助けになりたいとは思いますが、それだけではちょっとね〜😑