人生にはおもに四つの恐れがあると言う人がいます
1つ、無意味な人生を送る恐れ
2つ、孤独への恐れ
3つ、人生の迷子になる恐れ
4つ、死の恐れ
このような代表的な恐れがあるとリチャード・ライダーとデヴィッド・シャピロという方は言っています
まず一つの目の恐れについて見ていきます
「自分の人生を無駄に過ごしてしまっているのではないか?」「今までしてきた事は無意味だったのではないか?」という恐れです
人生の目標を失った時に、人は自分の人生に疑問を持つことが多いでしょう
何か目指していたものがあって、それを失った時に、「自分の人生は何だったんだ」と思うこともあると思います
あるいはお仕事をしている人でも、一生懸命に会社に貢献してきたと思っていたのに、リストラにあったりとか、あるいは定年退職してふと「自分のしてきた事は無意味だったのではないか」と恐れが沸き上がる事もあるでしょう
子育てに忙しかった主婦の方も、子どもが自立していって手がかからなくなると「自分の人生は何だったのか」と疑問に思う事もあります
こうした恐れを抱かないためには、充実した人生を送る必要があります
充実した人生というのは、生きがいを感じて生きる事でもあります
以前にも生きがいについて取り上げたことがあります
生きがいを持って生きるためには、使命感を持って生きる事です
使命を感じて生きていく事で、人は充実した人生を送ります
使命を感じて生きるためには、自分の欲や願望の満足だけを求めるのではなく、他人の役に立つことを願う事です
人の役に立ち、感謝されるような生き方をする事で人は充実した人生を送ります
次に孤独への恐れがあります
孤独な人生を送る時に、人は恐れを感じます
孤独は人間の持つ根源的な恐れと言っていいでしょう
誰しも自分一人だけで生きていくのは空しいと感じるものです
もし世界からすべての人間が消えて亡くなったら、恐ろしい恐怖を感じるでしょう
好きなものは何でも自由に出来て、好きな豪邸も高級車も世界中の物を独り占めできるとしても、他人がひとりもいない世界では喜びも感じなくなるでしょう
そのように、他人の存在は私たちの幸福と深い関係にあります
この孤独の恐れから逃れるためには、愛するものと共に生きる事です
夫婦であったり、子どもであったり、ペットであることもありますが、自分以外の愛する存在と共に生きる事です
愛する存在がいてこそ、人は孤独の牢屋から抜け出せます
次に人生の迷子になる恐れがあります
目標を失った状態の恐れであり、居場所が見つからない時の恐れだと思います
何処にも帰る場所がないと感じる時に抱く恐れでもあります
こうした恐れには、帰る場所を見つける事が大切です
上記のような記事を書いたことがりますが、自分で作り上げていく事が必要です
そして最後は死の恐れです
だれしも死ぬことに恐れを抱いてしまうと思います
普段は感じていなくとも、いざ余命宣告をされたり、死につながる病気にでもなると、その恐れは深まっていきます
いくらあの世はあると思っていても、やはり怖いものでしょう
死の恐れがあるために人は自分の人生を真剣に考えますし、思いを改めたりします
死ぬまでにどうしてもしたいことを考えたり、本当に大切なモノは何だったのかを考えさせられます
そして人は死の運命にあるからこそ、来世について考えるきっかけにもなります
この世だけを謳歌していればよいのではなく、いずれはあの世へと旅だたねばならない存在であることを自覚していくのです
真にスピリチュアルに目覚める事こそ、死の恐れに対峙していくものとなるでしょう
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