2020年9月12日土曜日

国生み神話と琵琶湖と淡路島の相似形



日本神話では伊耶那岐命(イザナミノミコト)と伊耶那美命イザナミノミコトが天地開闢の最後にお生まれになったと言われています



それ以前の神様はみな男女の別の無い独神だったと言います

伊邪那岐命は男の神様であり、伊邪那美命は女性の神様です

このニ柱の神様が(神様は一人二人と数えるのではなく、一柱二柱と数えます)愛し合って多くの神様と日本列島を生み出します

歴史的にそうした方が実在していたこともあったと思いますが、神話の中では抽象的な役割も話しています

両者は陰と陽の関係で、男性神の伊邪那岐が陽であり、女性神の伊邪那美が陰を現わしていると言えます

この陰と陽とが互いに作用しあうことで、様々な存在を生み出したという現象を現わす神話でもあると思えます

物理学でも宇宙が誕生した当初に、「物質」と「反物質」が存在し、これらが互いに合わさって対消滅を繰り返したとされています

こうした宇宙の創世の頃の現象を、神話として現わしていたとも取れますね

そして伊邪那岐命と伊邪那美命の両神による国生み神話では、はじめに淡路島をお創りになられたと言われています

不思議な事に、この淡路島と日本最大の湖である琵琶湖は、形がそっくりであり相似形をしています

一番上に載せている地図を見ていただければわかると思いますが、淡路島をとってひっくり返したら琵琶湖にピタリと入りそうな感じです

これも陰陽や対極性を現わしているように思われます

日本の神話の中にも、また日本列島の作りの中にも、陰陽の理論や、対極が組み込まれているのが分かります

不思議ですが日本は意図をもって作られた国であると感じさせますね

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4 件のコメント:

  1. 「神話は抽象的な役割も果たしていて宇宙の創世の頃の現象を、神話として現わしていたとも取れる」

    これは本当にその通りだと感じています。淡路島と琵琶湖は点対称の図形のように見えますね。そうなると対称の中心付近にはなにか特別なものがあるのだろうかと思ってしまいます。何か意味はありますか?

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  2. こんばんは。いつも楽しみにしております。
    本日は私の興味のある神話の話。ありがとうございました。 

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  3. いつもありがとうございます🥺
    毒母との距離のとり方、対策なども教えて頂けたら幸いです😭よろしくお願い致します🦄

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  4. この淡路島から日本国が始まりました神話につきまして、私は左脳的な人間なので霊的な意味を考察することはできないのですが、旧約聖書や諏訪大社の明治まであった神事などを知りますと、やはりイザヤというユダヤの預言者達グループが船に乗ってぐるっと大洋を越え、最終上陸地点が淡路島だったということが神話の起源だと空想してしまいます。

    イザヤの時代はバビロンの捕囚後期かバビロンの捕囚が終わったあとの頃の話ではなかったかと記憶しております。

    12種族いたユダヤ民俗はそのころ10種族が行くへ不明になったと言われておりますね。

    伝説はシルクロードを使って東に民俗移動したグループと船を造って東へ旅立ったグループの二つがいたそうですね。

    イザヤのグループが造るような船では大洋を渡れないだろうと考えてしまいますが、モルモン教典などを読んでみてもわかることは(私は高校生の時に200円だと言われて安いからその教典を買いましたがそれだけです。今は手元にないです。日本に来日したてのケント・ギルバートさんから買わされました~それは嘘~)小舟でも大洋はわたることができるのですね。

    なぜなら、預言者はテレパシー能力によって地球を見守っている異星人の導きに従いますから、風が吹くとき、台風があるとき、しけるとき、すべて指示に従い、たやすく航海できたのだと考えられます。

    イザヤとそのグループは当然、モーゼに手渡された石板、宇宙人ヤーウェが十戒を刻んだ石板とそれを納める神輿(みこし、アーク)その他を船に積んできたと空想します。
    今は剣山にはないと言われておりますが四国の剣山に隠した伝説はあるし、その土地の人の中には日本人離れした鼻の高い人が今もいると聞いておりますね。
    淡路島と四国は近いですね。

    海を使わずシルクロードを使った人達も結局は日本までたどり着いた人達が居たと空想してしまいますね。

    秦の始皇帝の時代、徐福とそのグループが日本に渡ってきましたね。

    中国に今も残る伝説があって、日本人の頭が良いのは徐福の子孫だからだと影で言われているそうですよ。

    徐福達は富士山の見える遠州灘あたりに上陸したのではないかと空想しております。

    なぜ諏訪大社の名前を冒頭に出したかというと、神社の起源がユダヤ教にあるのではないかという都市伝説がまだ信じられなかった頃、明治まで行っていた諏訪大社の神事が書類上残されていて、今はしていない神事の話を聞いて、その内容に唖然としてからは私は神社がユダヤ教だと確信したいきさつがあるのです。

    その神事とは神官が子供を生け贄にするため子供を祭壇に起き神官は子供に単刀を振りかざします、されど他の神官がそれを阻止して子供は無事助かる、そのかわり羊だか鶏だかを生け贄にする、というストーリーの神事なのです。
    (エグい話ですいません)

    これを聞いて旧約聖書を少しかじったことのある私はすぐにアブラハムとその子供イサクとの伝説を伝えていると考えましたね。

    この話はきわどいことがふくまれていて、最近の子供がたくさん救出されている話が聞こえてきますが、かれらディープ・ステートの間違いはアブラハムがイサクにナイフを降り下ろさなかったというところを守っていないのですからかれらがやっていることはユダヤ教を歪めております。

    宗教の一番おそろしい人身御供をアブラハムはしなかったのだ、人は供えず、羊にかえたのだ(それもどうかと思う。羊が可哀想だ)ということをディープ・ステートの人は守っていない。

    故にユダヤ教とディープ・ステートは似て非なるものだと断罪できます。

    話はそれましたが、私だけが思っております荒唐無稽な空想ではないと思いますし、私が最初の言い出しっぺでもないのですから投稿してもよいのかなと思っております。


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