コロナの流行もあり、世の中には苦しみも増えているように思います
感染するのではないかという不安や恐怖もありますが、観光業や宿泊業など、仕事が無くなって苦しみが生じているところは多くあります
一時的に自粛していれば一、二か月では終わるだろうと思っていたのが、長期戦になってきて苦しくなってきているでしょう
すでに閉店してしまったところもたくさんあります
私の住む沖縄でも、国際通りという観光客が多く訪れる通りでは、約470店舗あるといわれるますが、そのうちの80店舗が閉店や休業しているそうです
表通りだけの数字ですので、横の通りなどを加えると相当な数になるでしょう
全国的に倒産や閉店に追い込まれるところがたくさん出てきています
テレビで拝見していましても、宿泊業をされている所のオーナーさんが、「苦しいけど来年のオリンピック開催で良くなる事を期待するしかない」というような事を言われていました
それを見た時、厳しい意見ですが「東京オリンピック開催はもう無理なのは見えているので厳しいな」と思いました
ウイルスが発生してからすでに半年以上たって、いまだ感染が増加スピードを上げている状況です
終息が見えずに、むしろ広がりが早くなっているわけです
この状況で一年後にオリンピックが開催されるのはありえないでしょう
テレビのオンライン収録のように、オリンピックもオンラインで競技するつもりでしょうか
そんなことは出来ないでしょから、開催は無理だと思います
ここで希望的観測に立てば、「もうすぐよくなっていくから、後しばらくの辛抱だ、頑張れ」と励ましの言葉をかけるところでしょう
ですが現実は厳しいとなると、そうした楽観論で進んで行った場合には、より傷口が深くなってしまいます
お店なども赤字続きで経営を続けていけば、借金が膨らんでいくばかりで、どんどん泥沼にはまってしまいます
安易な楽観視などをしていると、取り返しのつかないことになるでしょう
そうしたときには諦めが肝心な場合があります
諦めるというと、多くの日本人は断念するとか、ギブアップするようなマイナスの印象を持っていると思います
しかし、諦めるという言葉の本来の意味は、仏教の言葉であり、真実、真理、悟りを意味する言葉です
お釈迦様の教えの中心をあらわした四諦八正道の諦というのも、諦めると同一語です
諦めると言うのは物事を明らかにするという意味でもあります
これは現実を受け入れるという意味でもあるでしょう
お釈迦様はこの世は苦しみの多い世界であると説きました
この世が苦界である事をまずは受け入れるべきだと言う教えです
人間は生まれて病気になり、老いて死を迎える生き物です
その宿命からは逃れることが出来ませんので諦めることです
そんなこの世の世界に執着を持っていると、それが苦しみを生み出すと教えます
親しいものが亡くなって、その死を受け入れられず、何とかならないかと願っても、その思いは執着となって苦しみを生むのみになります
たとえば今回のケースで言うと、感染流行は当面続いていき、政府からの補償も無くなり、売り上げが落ちるなかで生きなければなりません
じっと我慢していればそのうち良くなるだろうと思っていたら、厳しい現実に直面していくかも知れません
ただ時が過ぎるのを待つために、借金を膨らましていっては、やはり厳しいでしょう
何とかなるさという甘い見通しでは、将来の苦労を益々背負い込むことにもなります
もう数年は元に戻らないと諦めて、新たな道を開拓していくか、一度閉める事で出血を抑えるなど、次の時代に繋いでいく事が重要です
ただ「手放したくない、現状のままでいたい」という執着の思いのままでいたら、苦しみは増していくでしょう
執着を手放していって、新たな境地に立つことで、苦しみから脱却できます
いたずらに運まかせ、他人任せ、国任せにしていては、悲惨な未来が待っています
厳しい現実を受け入れ、諦めてこそ、苦しみから脱却し、新たな道を歩んでいけるでしょう
2 件のコメント:
ついこの間、スクールの方で「諦める=明らかにするという話を大学時代の恩師から教えてもらった」というコメントを書いたのですが、これはお釈迦様の教えだったのですね!
なんとなく日本人の間で広がっている深イイ話的なものだと思いこんでいました(^^;
スクールの記事にあります仏教シリーズに、もしかしたら書いてありましたかね。
仏教はなんだか小難しく感じて改めて読もうとすると中々頭に入ってこないのですが、自分の体験を通すと「本当にそうだな」って心に刻み込まれるものですね。
そういえば、最近沖縄県は首里城が焼失しましたが大丈夫でしょうか。