ネット社会という事もあり、偽りの正義感が世の中にあふれているように感じられます
非常識な事をしたり、迷惑行為をかける人物を執拗に攻撃するものもいます
ネットで人物を特定し、その情報を拡散したりとか、電話などで嫌がらせとしたりなどの出来事があります
そのなかにはまったく事件に関係のない別人が被害に合う事も起こっています
そのような攻撃をしてくる人物は、自分たちが正義を実行していると思い込んで、人を傷つけていても正当化してしまいます
「自分たちは正しいことをしているのだ、悪いのは向こうであり、正義の制裁をしているのだ」という考えで過剰な行動に出ていきます
その歪んだ正義感は犯罪者にだけ向くのではなく、時には有名人や身近な隣人にまで及びます
先日も有名人が、番組での態度に怒った視聴者からの心無いネット上の中傷によって、若い命を落としてしまうような事件も起きました
誹謗中傷をする彼らの中にも、おそらく正義感はあるのでしょう
「悪い奴をそのままにしてはおれない、懲らしめないといけない」という考えです
ただしそれは歪んだ、偽りの正義感なのです
実際には自身の心の中にある不平不満やストレスのはけ口として、攻撃しやすい相手を見つけては、汚れを吐き出しているのです
その他にも、隣人や同僚など、身近な人に向くケースもよくあります
ゴミの出し方が悪いとか、何らかの理由で隣人にたいして嫌がらせをしたり、攻撃してくる人たちはいます
これなども歪んだ正義感からの行いと言えるでしょう
正義感について考えさせられる出来事を幾つか紹介してみます
ある方が電車に乗っていた時のことです
カバンから携帯電話を取り出してボタンを操作していると、中年の女性らしい方から「こんなところで携帯出したらダメでしょ!」と厳しい口調で怒られたそうです
その人は「すみません」と謝りました
実はその方は目が見えない方で、電話の時刻案内で今の時間を知るのでした
目の見えない方には、もちろん時計の針が見えませんので、多くの方が携帯で時刻を知るのだそうです
そのように相手の事を知らずに一方的に非難する人も多くいます
私が小学生だったころに聞いた話です
私のいた小学校では、構内は上履きが理由は不明ですが、何故か禁止とされていました
ですがある生徒が上履きを履いて構内を歩いていました
それを見つけた先生が怒って、言葉で注意するより先に、足を蹴ったそうです
すると「コツッ」というかわった音がしました
その先生は「ハッ」として新しい転入生で義足をした生徒が入ってくる事を思い出しました
聞いてみると確かに上履きを履いた子は、義足の転入生でした
もうひとつ、これは『7つの習慣』という本で紹介されていたエピソードだと思います
電車に乗っていると、子どもを連れたお父さんが乗ってきました
その父親は座席に座ると子供が騒ぎまわるのを注意もせずにいました
そこで「おたくの子供が騒いでいるようですが」と声をかけたそうです
すると「ああ、申し訳ありません。今しがたこの子の母が亡くなったので、子どももどうしていいか分からず興奮してしまったようです。私も呆然としてしまい、子どもをそのままにしてしまいました」と言います
その騒がしい子どもと、それを注意しない不謹慎な父親だと思っていたら、子どもは先ほど母親が亡くなたことを知って興奮し、父親も妻を亡くし呆然としていた所だったのです
おそらくそんなことも知らずに怒鳴っていたら深く後悔することになったでしょう
相手の立場や考えを知らない状況で、ただ単純な正義感にかられて批判したり、注意したとしたら、間違ってしまう場合もあるのです
隣人への批判は昔からあったと思いますが、現在はネットによって直接会ったこともない人物についても、誹謗中傷を書き込んだり、攻撃的な事をしてしまう事も増えています
ネットは世の中を便利にした反面、そのように悪意も増幅される装置となっているように思います
私たちは相手の事を考える努力や、安易な気持ちで攻撃する事に気をつけないといけません
8 件のコメント:
本当にそう思います。
人は生きているといろんな過ちや、人に迷惑をかけて生きているので、他人のミスを見ても、寛容になって見てあげれるのが大事だと思うのですが、最近の世の中は、ミスを犯した人を許すことができない社会になっているなと思います。マスコミも毎日誰かを断罪してばかりでうんざりです。
寛容で優しさに溢れた社会になってほしいものです。
いつも更新をありがとうございます。
正義感のお話、あるあるですね。
小学校の上履きのエピソードと『7つの習慣』のエピソードを読んで、自分にも心当たりがありました。
私事ですが、一人住まいの隣人が奇声や汚い言葉を発したりドカドカと騒音をたてるのに大変イライラしておりました。ある日、動画配信サイトでトゥレット症候群という病気を知りました。意に反して大きな音を立てたり汚言を吐いたりする症状があるとのことで、当人は非常に辛そうでした。隣人はこの病気ではないかもしれませんが、それ以来ほぼ全く騒音や奇声が気にならなくなりました。
物事を俯瞰して見られるように様々な体験を通じて視野を広げること、何事も慌てず静観するゆとりを持つことを学びました。
偽りの正義感のぶつかり合いは争いしか生まないかもしれませんね。
戦争もそうであると思います。
反省しました。私は正義感を振りかざしているだけだった事がありました。
状況を冷静に確認し 相手の立場にたっての言葉選び 行動をするようにします。
今日ふと「7つの習慣」を思い出して、まとめサイトを見ていたところでした。
学生の頃大好きな本でずっと手元においていたのですがあまり内容を覚えておらず、何がそんなに好きだったのかよくわかりませんでした。
私は当時「他人から非難されやすい人」であり「他人を非難する人」でもあったので、もしかしたらそういったエピソードに感銘を受けていたのかもしれません。
また読み返してみたくなりました。
どうもありがとうございます。
学生の頃は、自分の短い物差しで相手を裁いて、常識知らずだとか見下していました。
社会人になって、ある時気付きました。
相手の人も、バカではない。考えや事情があってしていることだと。
ただただ一方的に責めるのではなく、長くした物差しで判断しようと許容範囲を広げています。
それでも、相手に攻撃はしませんけど、未熟なので怒りますけどね。
記事へのコメントではないのですが
バンクシーについて彼の前世や魂はどこから来ているのか?気になっています。前世は有名な芸術家なのでしょうか?
バンクシーは、スクールで話題になりました。
国家規模だと相手国が悪で自国が正義だと思って戦争が起きますから怖いですね。
個人規模でも自分が正しい相手が悪いと思っているから怒りが生じて、直接言わない場合でもいつの間にか陰口や中傷、批判に繋がること多いです(私も気をつけていても後から自分自身が陰湿になっているなと後悔と反省をすることがあります)