これから進んで行く道は、登山のような厳しさがあります
山に登っていくのは、平坦な道ではなく、坂を上っていかなければならず、遭難の危機が隣り合わせであり、大変厳しいものです
もしもこれから山登りをするとなると、それなりの覚悟と備えが必要となります
服装も登山に適したものを着るでしょうし、水筒や食べ物なども用意し、地図やコンパスなどをリュックに入れていくでしょう
それを軽装をして、何も持たずに出かけていったなら、遭難したりすぐに食べ物がつきて苦しくなります
現実をしっかり見ず、あるいは厳しさから目を閉ざしているような人たちは、このような軽装のままで登山に出掛けるようなものです
すぐに身体を怪我したり、食べ物を失って空腹になったり、道に迷ってしまいます
これから山に登るとなると、これから行く場所がどうなっているのかと、地図を手にし、コンパスをもって自分の位置を確かめようとするでしょう
でなければ自分がどこにいるのか、これから何が起こるか分からず、危険にさらされます
地図やコンパスを手に出かけるというのは、言ってみれば今後の社会の情勢をしっかりと分析するのが地図であり、そのなかで自分が出来ることを先手で考えていくのがコンパスを手にしているという事でしょう
当ブログでは、これから厳しい状況が予想されることを何度も警告していますが、それはこれからの道が厳しい山道に進んでいく事を、あらかじめ知らせているのです
知らずに険しい道に入っていけば、怪我したり、道に迷ったりするでしょう
ある程度、覚悟をして登っていけば、無事に山頂にたどり着くことも出来ます
それだけ今後の私たち人類の行き先は厳しいものがあり、覚悟して生きなければならないという事です
もうすぐ夜も暮れようとしています
暗がりの中では道に迷い、転落してしまう可能性も高くなります
その中で必要なものは光であり、光をかかげてこそ、道に迷わずに進んで行けます
4 件のコメント:
重みがありますね。
重みがありますね。
お釈迦様は、この世は苦しみに満ちているとおっしゃいました。
ですが、過去も現在も未来も、全てを受け入れることで安らぎが得られることを悟ったのですよね。
全てを受け入れ、自分の成すべきことを淡々とする。
それ以外のことをするような余地は、元々なかったのですよね。
本当の道を歩いていく時です。
光の方向に向かい、自らも光なって共にまいりましょう。
私たちはエゴを捨てて元の純粋な魂に戻ることを目的に何度も何度も生まれ変わってきています。
しかし、エゴを捨てるためにはものすごい苦労を伴います…私もいろんな目に遭い、しかしそれを人のせいにせず自分のこととして乗り越えたからこそ本当の自分を取り戻すことができました。
登山のような、フルマラソンのような、とにかく大変な苦しみでした。
けれど、これからエゴを捨てようとされる方には少しでも苦しみを前向きに捉えて乗り越えてもらえるよう、また、神様の助けも得ながら乗り越えてもらえるよう、命を削りつつイエスさんの言葉を受け取り、ブログでご紹介しています。
洪さんの、「宇宙の兄弟たちへ」という後押しがなければここまで頑張れなかったかもしれません!
洪さんが直筆してくださったサイン入りのハガキは大切に神棚に飾っています(#^.^#)
これからも皆さんが少しでも荷を軽くしながら登山できるよう、私は私の役目を頑張って果たして参ります!