中国では新型コロナウイルスが猛威を振るい、多くの方が感染し亡くなられています
中国当局が発表している数値はウソであり、実際には、すでに数十万人の方が感染し、死者は5万人近くに達していると言われています
多くの方が病で倒れて苦しまれ、そして亡くなられてしまい、また都市が封鎖されるなど、不自由な生活を送っています
多くの中国の方たちが、不安に思い、苦しまれていて不憫におもいます
ただ、今回の出来事で、ひとつのお話が思い浮かぶのです
それはお釈迦様と、在家信者とのお話しです
仏教のある在家信者の方が、病気になり、床に伏していました
そこへお釈迦様がお見舞いに行かれるのですが、病の在家信者は、苦情を訴えます
「誰も病の私の事を世話してくれない。ちゃん看護してくれない」と言ってお釈迦様に愚痴をこぼすのです
すると黙って聞いていたお釈迦様は、聞き終わると静かに問いかけられました
「では、あなたは健康であった時に、一度でも病人を世話したことがあるか?」
その病の信者はハッとして黙ってしまいます
自分が病気になったら、世話してくれないと文句を言っているが、自分は今まで一度もそうした事をしたことが無かったからです
黙ってしまった信者に、お釈迦様は諭します
「あなたには三世にわたって癒える事のない心の病がある」
この場合の心の病とは、ウツや統合失調症などの病の事ではなく、思いの傾向性に間違いがある事を指示しています
つまり肉体が病んでいると苦しんでいるが、実は、心が病んでいるのであり、そのことを知らなければならないという事です
健康である時には気づかなかったことを、病になってから、初めて知ることがあります
今現在もウイグルの人は強制収容所にいれられ、拷問を受けたり、宗教で禁止されている豚肉を無理やり食べさせられたり、様々な苦しみを受けています
武漢やその周辺の方々も、都市が閉鎖され、身動きができない状態に置かれたり、あるいは感染した方は無理やり連行されて、隔離施設に入れられるなどの措置を取られています
ウイグル人が受けている苦しみを、わずかでも中国の方が体験しているような事態ではないでしょうか?
中国の方々は、苦しい状況にありますが、はたして、今まで一度でも、ウイグル人が強制収容所に入れられ、拷問される苦しみを、自らの事として感じ取ったことがあるでしょうか?
チベットの子どもたちが拷問されている苦しみに、目を向け、耳を傾けたことがあったでしょうか?
ウイグルの方や、チベットの方が、現状を知ってもらうために、日本を含め海外でデモや街宣などをしても、それを邪魔しようとする多くの中国人の姿があります
自分たちの政府を肯定し、その行為を正当化する思いがあったのではないでしょうか?
もちろんすべての中国の方がそうではありませんが、多くの方が自分たちの政府の行いを正当化し、ウイグルやチベットなどの弾圧を見て見ぬふりしていたのではないでしょうか
健康である時には、病で苦しんでいる人の気持ちが分からいですが、自らが苦しんでみる事で、初めて相手の苦しみを知る事もあります
今回の出来事を契機に、中国は政府のしてきたことを改める必要があると思います
そして今まで苦しみの中に置かれていた、人々の気持ちを、少しでも労われるようになれることを願います
5 件のコメント:
神様の法則はどんなに偉い人でも・隠し事が上手い人でも絶対にくぐり抜けられないため、『自分がしたことが(良いことも悪いことも)自分に返ってくる』という作用から逃れられません。
なので、実は自分の身に起こることは全て自分が過去から現在に至るまでの人生の中で原因を作っているので、誰にも文句は言えません。
病気も怪我も、リストラも何もかも自分にとって(原因も含めて)大切な意味があるので、人のせいにせず、恨みつらみを言わず、素直に助けを求めながらも周りの人に感謝をして生きていかねばなりません(文句を言うなら、そのツケをまた先で自分の身で払わねばなりません)!
神様の法則と、その乗り越え方について、イエスさんが教えてくださったことをブログにたくさん書いていますので、参考にしていただけたらと思いますo(^-^)o
今回のことを切っ掛けに、今まで中国が犯してきたすべての人権弾圧の実情が表に出れば良いと願います。
なんの罪もなく拷問され命を落としていった人々の真実を知ることが、同じ時間同じ世界に住む私達の義務であると思います。
自分のしたことや思いは必ず返って来ますね。
ことの良し悪しに関わらず自然とそうなるわけだから、他人から何かをされてその復讐をしたとしたら、やはり自分のカルマを作ってしまうことになります。
そのループから抜け出さない限り、いつまでも繰り返すことになりますね。
何かに気づくために問題が起きていると気づき、反省したら、相手も自分も許して手放すことが大事ですね。
普通の生活をしていても感じることがあります。
理不尽に起こっているように見える大小の災難や事件も、実は何かマイナス面の反動であることが多く、怖くなることがあります。
愚痴や人の悪口ですら、言う人に限って自分のことがおろそかになっていたりして、ろくなことはありません。
まずは自分の考えをきちんと整えていくことから始めたいものです。
では日本はどうだろう?
日本人はどうだろう?
自分はどうだったろう?
今まで(今も)さんざん目先の経済効率を優先していろんなことに目をつぶってきたのではないか。自分を内省せず外面的医療技術にのみ頼ったのではないか。
相当な因果応報を覚悟しなければならないと思った。