ほんとうはあなた自身が、あなたの人生の主人公なのですが、その座を手放して、他のものに譲ってしまうのです
それはどのような状況でしょうか?
たとえばあなたが、「今日は天気が悪いから気分も落ち込む」とか「あの人のせいで私の人生は台無しだ」などと言っている時、あなたは主人公の座を、天気や他人に譲り渡しています
自分が主体的に生きているのではなく、環境に振り回され、ただ川に流れる木の葉のように、風の吹くまま、水の流れるまま、流されていく生き方です
中国の禅に臨済宗という宗派があって、その開祖である臨済義玄という禅師の言葉に以下のようなものがあります
「随処作主 立処皆真」という言葉です
これは『臨済録』という書物に出てくる言葉で、もう少し砕いていくと「随処に主となれば、立処みな真なり」といいます
つまりどのような環境にいようとも、そこで主体性を失わず、たえず他から束縛を受けずに、自由な境地でいる事
それが出来れば、どこにいようとも、そこは真実の世界となるということです
私たちが物事を他人のせいにしたり、環境のせいにしている時には、私たちは他の奴隷となり、自主性を失った状態にあります
起こる出来事を自分の中に見出し、心を見つめて、自らが主人公となる時、世界は真実の世界を見せるのです
主体性を失ったままの状態であれば、世界は真実の姿を見せてくれません
愚痴や不平不満に溢れている時には、偽りの世界を見ているのです
自らが人生の主人公となる事で、世界は真実の姿を見せてくれます
3 件のコメント:
人の言葉に振り回され一喜一憂している自分があります。注意されれば反論し、いじわるされれば苦しみ、嘘をつかれれば怒り、褒められれば喜び。軸のない自分になっています。主体性を失わない事が真実の世界になる。心に落ちます。TOKIOの「そら船」時々、思い出します。その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールを任せるな。
あれ、、ちょっと違うけど重なる部分あります?(;'∀')
寝起きの時、これからの仕事や今日のやること人のこと、気温、あれこれ考えて起き上がれないのですが、
だから自分はいったいどうしたいのか、このまま遅刻かダラダラ過ごすのか...
やっぱり判断は自分でした。
自分の主体性をもって行動しようと思います。
心身共に疲れている時は、休んで誰かを頼るべき時なのだと思います。
誰かに頼んだり頼ることは主体性を失っているのとは違うと思うので、主体性をもって、ご自分をいたわってあげて欲しいと思います。