重度の脳性マヒで生まれ、15歳で亡くなられた山田康文くんの詩が心に残りましたので紹介いたします
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくは言う
ぼくさえ 生まれてなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわの子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
山田康文くんは生まれた時から身体が不自由で、書くことも話すことも出来ませんでした
その彼が詩を作るのには大変な作業が必要となります
養護学校の向野先生が言葉をかけて、康文くんはそれが正解なら目を瞑ってイエスと答えます
ノーの場合には舌を出すジェスチャーで意思を伝えます
詩の冒頭の「ごめんなさいね おかあさん」を選ぶだけで1ヶ月もかかったといいます
山田康文くんの魂を込めてこの詩は作られました
さらに康文くんの詩に応える形で、母親も詩を書かれています
わたしの息子よ ゆるしてね
わたしの息子よ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱい いっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って 歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
"重くはない?“ と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを 見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわる ほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは 生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが、大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
詩の書かれた当時は1970年代で、いまより社会の偏見の目は強かったでしょう
周りから奇異の目で見られている事を、康文くんも感じ取っていました
生涯に一言も自らの口で語る事の無かった康文くんですが、彼の魂の清らかさは一片の詩に結集して、この世に残されました
そしてこの世に生きる人々の多くに感動を与え、ずっと多くの働きをしました
天使の魂は、時には人の避けたがる境遇に生まれ、人の分まで重荷を負い、名も知られずひっそりと生きる事があります
6 件のコメント:
泣けました。ただ泣けます。
胸を打たれました。
読み始めた瞬間から涙がこぼれました。
心の奥底からの涙というか魂からの涙というのかわかりませんが愛を感じました。
美しい詩をありがとうございました✨
改めて健康に産まれたことにただ感謝です。それに気づかせてくれてありがとう。
私たちは、このように、本当に美しい心を持った存在です。
でも、その美しさを自分中心のエゴで覆ってしまい、その美しさをありありと表現できるこのような人がとても少なくなってしまっているのです。
皆さんがこの方の詩に感動できるのは、その美しさを理解できる・共感できる美しい心を持っているからです。
その心がつまりは魂なのですが、皆さんはそのことを忘れていますので、自分の美しさもなかなか思い出せません…だからこそ、自分中心の醜い生き方をしてしまっているのです(魂からしたら、それはとても不本意な生き方です涙)。
ですから、本当の自分が喜ぶ・それによって神様も喜ばれる生き方について、ブログでご紹介しています。
私はとても不器用な人間ですが、エゴを捨てたせいでイエスさんの言葉を受け取るようになり、皆さんに本当に美しい・もとの魂そのものの輝きを取り戻すことができる生き方を教えてもらい、皆さんにお伝えできるようになりました。
イエスさんの言葉を聴くとクタクタになるのですが、これからも命をかけて・心を込めて、お伝えしていけたらと思っています(๑>◡<๑)
本当はひっそりと静かに生きたいです
でも優しさと思いやりに溢れた世の中になって欲しい
望みはただそれだけです
最近気持ちがダウンしていたので、涙が出てきました
母子のお互いを想う心に胸を打たれます