そして一日も早い再建を希望する声が全国あら上っておりますが、この首里城については本来の霊的な役割を見失っていたところがあります
沖縄は琉球処分で琉球王朝を廃して、1879年(明治12年)には沖縄県を置くことになりました
そして大正期に入って、首里城正殿を拝殿として流用した沖縄神社が首里城跡に創建されました
この沖縄神社には、源為朝と歴代の琉球国王が祀られていました
なぜ源為朝かというと、琉球王朝の初代の舜天は為朝と沖縄の女子との間に生まれた子だとされているからです
ほんとうに舜天が源為朝の子であるか歴史的に証明されてはいませんが、それだけ本土との繋がりを大切に思っていた歴史があるということでしょう
そうした日本との繋がりを大切にする神社が首里城跡にはあったのです
それが現在では沖縄神社は首里城から離れた場所に移され、戻されないままに置かれています
焼失した首里城には、こうした霊的な役割をないがしろにして、観光目的の復元のみをしたという問題がありました
さらに首里城というのはもともとお城と言う役割だけではなく、沖縄有数の霊域でありました
今でいうパワースポットのような場所ですね
かつては多くの民間人が、首里城内になる御嶽とよばれる拝所で、線香をあげたり、ウチカビといってあの世のお金とされる紙銭を燃やしてお供えしていました
それが首里城が復元されることとなって、立ち入りが出来なくなり、霊域としての役割は失われてしまいました
そのため「首里城の建物は復活したが拝所としては破壊された」とも言われています
拝所には線香を燃やしたり、ウチカビを燃やしてお供えしたりするわけですが、奇しくも今回は内部で発火して火災が発生したようです
このように、首里城は観光スポットや中国との関係を強調する場所となり、本来の役割であった聖地や歴代の王を祀る拝所としての役割を失っていきました
こうした見えないものを軽視して失っていき、お金儲けの施設となっていったことには問題があるでしょう
今回の出来事はそうしたことを知らせる機会となったのではないでしょうか
首里城を再建するというなら、建物を立て直すだけではなく、もともとの霊的な役割も復活させなくてはならないでしょう
5 件のコメント:
2千円札の絵柄が、首里城と源氏物語だったことも
偶然ではなかった気がしてきます。
深いお話ですね。目に見える「物」だけでなく、見えないものを敬うこと。両者が共存して成り立つ。
沖縄の方々の大切な誇りであり財産。また、長い年月がかかりますが復活、心よりお祈り致します。
ウチカビというあの世のお金があることを初めて知りました。
「あの世のお金」というものが本当にあるのか存じませんが、「陰徳はご先祖さまの供養になる」というのが浮かんできましたので、そういうことなのかなと思いました。
よい気づきを頂きました。
いつもありがとうございます。
私も同感です。
当時の小渕総理は何かのメッセージを残したかったのでしょうか?
中国への牽制か?…
「中国に染まってはいけない」という意味だと思いました。危惧した歴代の王様たちの警鐘にも取れました。