2019年11月16日土曜日

大嘗祭のスピリチュアルな意味

天皇陛下が主催される大嘗祭が行われました

それについて費用が国負担で二十数億円かかるなど、費用の問題や、内容が宗教的なものであるため、政教分離に違反しないかなど、批判も出ています



大嘗祭の意義と批判については昨日は政治ブログの方で取り上げました

大嘗祭への反対集会を朝日が報道


大嘗祭というのは天皇陛下が即位されて一世一代の祭で、これによって新天皇に天照大神の霊威が移るとされています

霊威が移るというのは、はっきり言えば、天照大神さまの霊的な力が、天皇陛下に受け継がれることを意味しているでしょう

そのように極めて霊的な祭りであって、無神論や唯物論者からすれば、意義を感じないものでしょう

もう一つの大嘗祭の意味としては、穀物が豊かに実り、国民が食べていける事を神様に感謝するという意味もあります

天照さまがニニギノミコトを天孫降臨させる時には、三種の神器とともに稲穂を持たされたといいます

そのため日本に稲作が出来て、私たち日本人はお米を食べてお腹を満たせるようになったという由来があります

そうした事もあるため、神様に穀物の実りを報告し、感謝するという行事が大切であるわけです

大嘗祭については、天照大神の皇統を継ぐ天皇陛下が、その霊威を受けられて、国民の平和と安寧を祈られることがとても重要なものなのです

値段が高いからもっと安く済ませとかいう意見もありますが、これらは基本的に唯物的な見方でしかなく、目に見えないものよりもお金の方が大事という考えから来ているでしょう

戦後の日本では、そうした目に見えないものの価値を失い、お金などの唯物的な価値が幅を利かせるようになっています

そのために大嘗祭についても批判の声が上がるようになっているのでしょう

そしてもう一つの論点としては政教分離に反するのではないかというものです

そもそも政教分離というのは国が特定の宗教と手を組んで、他の宗教を抑えたり弾圧する事をしてはならないとする趣旨なのです

これは人々の信教の自由を守ることが大切な趣旨であり、これをもとに宗教行事をさせないように働くのは本末転倒といえます

国民に対して特定の宗教を強要したり、行事への参加を強要したりしてはいけませんが、皇室で伝統的に行われている行事を、国が負担するのは問題ないです

これによってその他の信仰を持つ人が迫害されるわけでもなく、不利益を被るものではありませんので憲法の趣旨からして批判されるものではありません

大嘗祭などの宗教的な行事に意義を見出せるかは、霊的なものを信じられるか、理解できるかに関わっています

先ほども述べましたように、大嘗祭には天皇陛下が天照大神の霊威を受けられ、神様に五穀豊穣を感謝される意味がありますので、それはスピリチュアルな意味として理解できるものです

唯物的な見方で意義を見出そうとしても、伝統行事だから大切だというくらいしか説明は出来ないかも知れません

しかしスピリチュアル的には、目には見えませんが確かに日本には、この国を導こうとされる神様方がおられて、人々の祈りは聞き届けられています

今回のような行事にしても、見えない存在を理解せず、ただ形だけを行えばよいかと言うと、それは空しいものとなっていくでしょう

やはり天照大神さまがこの日本を見ておられるという思いがあるからこそ、思いは通じていくものでしょう

人々が唯物的となっていき、霊的意義やスピリチュアルな価値を失っていくならば、こうした行事にも人々の意見は厳しくなり、段々と失われていってしまいます

そうなると、皇室への人々の敬愛の念というのもの薄れていくでしょう

大嘗祭というものも、たんなる伝統行事だから大切なのではなく、日本の神々の主宰神である天照大神がいらっしゃって、その子孫たる天皇陛下が霊威を移され、国民のために祈られることに、大切なスピリチュアル的意義があります

目には見えませんが、そこに現代人が見失っている大切なものが潜んでいるのです

それを大嘗祭では、人々に再確認させるものとなったのではないでしょうか

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

日本の神様の子孫の天皇陛下にお金がかかるのは納得できますが、親戚まではやりすぎ感がある気がします…🙈

匿名 さんのコメント...

ハーバード出て、外交官だった雅子様は、最初は戸惑ったでしょうね。神職になられて。

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。