幾つもの道がある中で、一つだけを選び、それだけが幸せへの道だと思いがちになります
しかし、人には様々な道が用意されていて、ひとつがダメになったからと言って、それで終わりではなく、次なる道が用意されているのです
たとえば学生の頃は、将来の夢がプロスポーツ選手になることで、部活等で一生懸命に頑張っていた人もいるでしょう
しかし、病気やケガなどで続けられなくなってしまった、などの事態が起こることもあります
せっかく夢見ていた道が閉ざされるのは、とても残念に思うでしょうが、また新たな道が開けていく事があります
世の中で成功している方の多くも、そうした挫折を味わって、新たな道を模索して成功された人も多いでしょう
企業で成功された方には、一度は倒産して失敗された経験のある方も多くいます
そのように人間の目指す道は、ストレートに叶う事は少ないといえます
むしろ何らかの違った形で現実となるケースが多くあります
スポーツ選手にはなれなくとも、監督の才能があって、人を育てる方が得意だったという事もあるでしょう
自分で選手として活躍するよりも、人を育てたり、指導するのが得意で、その方面で成功される方もいます
あるいは受験で、目指していた学校には入れなかった人もいるでしょう
受験の失敗は辛いでしょうが、希望とは違った道に新たな光が出てきたりします
そうして違った学校に行ったことで、将来の道が見えてくる事もあるでしょう
あまりに一つの道だけに固執してしまっていると、新たな道が現れてもふいにしてしまう事があるのです
ひとつの失敗をあまり引きずらないようにして、新たな道を模索することが大切です
何度でもリバウンドしていく力が、あなたの運命を切り開いていく力となります
2 件のコメント:
すべてに当てはまりますが、何も努力してない人は道がないですね。
人の人生には、生まれ変わる前にあらかじめ自分で設定してきた「魂の純化」という課題があるため、(あるときまでは思い通りにいっていても)ある日、思わぬことが起きたり思わぬ人と出会ったり思わぬ事故に遭うなどして、それまでの人生が180度変わってしまうような体験をすることがあります。
でも実はそれも自分の設定した「魂の純化」という課題を乗り越えるための実習の1つであって、自分に起こる全てのことには大切な学びと意味があります。
そしてその実習が与えられたときに、「どうしてこんなことに!」と「どうして」思考で人のせいにしたり文句を言いながら受けるのか、それとも「今、自分にできることは何か?どうしたら最も良い結果になるのか?」と「どうしたら」思考で前向きに受けるのかで、実習結果が変わります。
つまり、文句を言うだけならますますエゴをくっつけて神様から遠ざかり、苦労が絶えない人生となり、
前向きに努力するならエゴが消えて魂が純化され、神様に近づくのでますます周りの人たちからも愛され、助けられて苦労も乗り越えられていきます。
ですから、目の前に起きたことを良い悪いだけで受け止めて文句を言うだけだと、せっかくの実習をムダにしてしまいます(というか、その苦労を長々と引っ張ることにもなります…解決が先延ばしになるからです)。
何が起きても冷静に受け止め、人のせいにせず、周りの人たちに感謝しながら素直に助けてもらいながらも、自分にできることから1つ1つ前向きに努力すること。
それが、神様に近づく心の綺麗な人たちの生き方です。
その方法でしかエゴを消すことができませんし、それを目的としてあえて大きな課題と実習を設定して生まれ変わってくるのですから、
人生に起きる実習の1つ1つを大切なチャンスと捉えて、謙虚に・素直に・誠実に努力することで、(神様からの思わぬ助けなども受けて)乗り越えていけますし、その中で誰からも愛される、神様のような愛のあふれる本当の魂に戻っていくことができるのです。
自分に起こることの全てに大切な意味があると分かれば、もっと大切に1日を過ごせるのではないかなと思います。
神様から見たら、(良いことも悪いことも大切な意味があるので)良いことも悪いことも等しく価値があるのです。
地上の良し悪しで物事を決めつけず、全てが貴重な実習なのだと発想転換をできたら、もっと取り組みやすくなるのではないかと思います。
私は大切な人を喪うという本当に辛い実習を受けましたが、そのことを乗り越えたときからイエスさんの言葉を受け取り始めましたので、人生で起こる全てに意味があることを、今では痛感させられています。
だから、大丈夫です。
どんなに辛いことにも、皆さんを輝かせる大切な学びがあり、絶対にムダにならないからです。
それを知っていれば、何が起きても前向きに乗り越えていけるのではないかな、と思います٩(๑❛ᴗ❛๑)۶