2019年5月15日水曜日

幸、不幸を決めるものは何か



世の中には色んな原因で幸不幸が分かれるという話があります

たとえば家相といって、どんなお家の建て方をしたら吉で、どうすれば凶であると述べるものもあります



浄化槽があってはよくないとか、トイレは二つあってはダメとか、敷地内に家畜を飼ってはダメなどと言います

あるいは風水のように、方角によって置いてよいもの悪いものがあるとするものもあります

また姓名判断では画数によって人の運命が決るようなことを言ったりします

他にも不幸の原因は先祖供養をしていないからだとか、水子の祟りだなどと述べるものもいます

そうしたものを信じている人は、自分の幸せや不幸の原因は、そうした外部のものによって左右されると考えています

自分が悪いのではなく、そうした外部の環境が悪かったから、自分は不幸であったり、運が良くないのだと考えます

これらはすべて依存心が生んだものであり、自己責任を放棄した考えです

実際には、人間はその考える物事によって、自分の未来を切り開いていける存在であり、その思考そのものが人生を形造っていきます

幸、不幸を分けるもっとも重要な要素は、そのものの思いの質によります

いつも不平不満ばかりを並べて、感謝を忘れていると、嫌な事を引き寄せ、ますます不満な人生を送るでしょう

心の中に自己処罰の観念が潜んでいると、病気を引き起こしたり、事故を起こしてしまう事があります

いつも怒りの炎で包まれているなら、周りから嫌われ、孤立していって、困った時には誰れからも助けてくれなくなるでしょう

いつも微笑みを絶やさずに、人に善意を向けようと思っている人は、周りを明るくし、人々の喜びに包まれるでしょう

人に善意を施している人は、困った時には、自分も人から助けられたり、見えない力で支援されたりします

そのように、人はその人の思いの力によって、環境を変えていき、生み出していきます

お釈迦様にしても、苦の原因は自らの思いと行いの結果として現れると説きます

仏教のもっとも根源的な教えとは、不幸は自分の思いと行いが作り出したもので、それを取り除くことで苦(不幸)も消していけるとするものです

ひとは自分のことは棚に上げて、周りに原因を探し出そうとします

しかし、最も大切なものは、自分自身の中にあります

何を考え、何を思わなかったか、その思いこそが、もっとも人の幸、不幸を分ける原因となるのです

関連記事



2 件のコメント:

  1. 過去の自分の言動によって今回の人生の課題が決まるので、

    もしも今回、苦労が多い人生なのなら過去にとても恵まれていて、その贅沢を自分のためだけに使って他の人を助けることが少なかったのかもしれません。

    そして今回とても恵まれた人生なら、過去にそれだけの努力や他の人を助ける徳を積んだのだと思います。

    よって今回がどのような人生だとしても、困っている人がいたら惜しみなく助けて、できることで協力しあい、次回の人生ではますますみんなで幸せに過ごせるように、日々の行いに心のこもった思いやりでもって過ごすだけで良いのだと改めて感じました(๑>◡<๑)


    もちろん下心があっては幸せになれないので、ひたすら純粋な気持ちで、計算や裏表がない誠実な生き方をしないと次回には反映されないのですが(^◇^;)

    返信削除
  2. あいねあす2019年5月20日 7:35

    >心の中に自己処罰の観念が潜んでいると、病気を引き起こしたり、事故を起こしてしまう事があります

    まさにその通りで、人に対してネガティブ観念を持っても体が打たれる。自分がどのような心なのかが重要と痛感しています。

    返信削除

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。