私たちは、自分で身体を作り出すことも無く、自ら魂を作り出すことなく、こうして生まれてきました
髪の毛一筋さえ、白髪を黒くすることも出来ず、与えられた肉体に宿って生きています
魂も自らが生み出したのではなく、与えられたものです
生きるために必要な空気も水も食料も、自然に備わっていたものです
私たち自身の手で、生きるために酸素を生み出したのではなく、水素と酸素を合わせて水を作り出したのでもなく、活動源としての動植物などの食料を生み出したわけでもありません
すべてが備えられ、与えられた中で、私たちは生まれてきました
それなのに私たちは、これは自分の物だ、私の土地だ、俺のお金だと、与えられているものに執着します
自我が執着を生み出し、執着が苦を生み出します
全てが与えられているがゆえに、本来の私たちは無一物であり、無我であると仏教では説かれます
与えられて生かされているからこそ、無我であり、執着するなと説かれるのです
与えられて生きていることを知る時に、感謝が生まれ、欲の炎を鎮めていけます
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神様は、まず、この宇宙の星々を作りました。
それから植物を作り、次に動物を作り、それぞれの星々に降ろしました。
そして最後に魂を作り、それぞれの星々で神様からもらった力や愛のあたたかさを共有して楽しむ魂の様子を眺めて満足されていました。
だから、魂も星々も、この空気や水や太陽も、全て神様が用意してくださったものです。
でも、自由に楽しんでいる魂の中に困ったことが起きました。
動物の中に自由に入って楽しんでいた魂が生殖などの快感に夢中になり、神様のことも忘れてしまい、その肉体から出てこれなくなったのです。
その事態に神様は、予定外の最後の創造物である人間を作り、動物の中で苦しむ魂をその人間の心臓の中に入れてやりました。
そこで初めて魂は、人間として神様のことを改めて学ぶことができ、ようやく神様のことを思い出しました。
でも、その快感を求めるエゴはなかなか簡単になくならなかったため、神様は地球を用意して、そこに様々な星々から来た人間を降ろし、ともに学べるようにしました。
神様と同じ愛のエネルギーでできた魂が、今、身に付けているエゴを捨ててもとの愛のエネルギーに戻るための修行を、この地球でしているのです。
だから、ともに協力しながら・思いやりながら生きることがとても大切です。
なぜならそれが、私たちの生きる理由だからです。
だから私たちはお互いを比べることなく、明るく助け合いながら生きていけたらと思います。