思考は現実化するといわれるように、人の思いというものには、目には見えませんが磁力のように、物に作用して働く力があります
個人の思いに力があるわけですが、それが多くの人々が集まって、共通の思いを持つと、さらに大きな力になっていきます
その中で特によく感じられるのが、人々の怒りの感情が集まったものです
怒りの感情は物事を破壊する力を持っており、それは対象だけではなくて、やがて自身をも燃やす炎となっていきます
かつて共産主義思想が世界的に広まりましたが、これはお金持ちや資本家への怒りが根底にある思想として広まっていったでしょう
人々の平等をうたった一見すると綺麗な面がありますが、その根底には怒りの炎が宿っていたため、共産主義の国では不幸が蔓延し、国が滅びていきました
日本においてもよそ事ではなくて、集団の怒りによって、自ら不幸を招いてしまう事は多くあります
バブル期においても、土地や株価が高騰し、所有していたひとが儲かったという事で、人々の怒りが、儲けた人へと向かっていきました
するとバブル崩壊と言われる現象が起き、景気は悪くなって、人々は苦しむようになります
怒りの炎は対象を焦がすとともに、自らも焦がしていってしまいます
先日も述べましたように、地価が高騰して土地建物が庶民の手に入らなくなるなどの問題が起こったならば、容積率を緩和するなどで、もっと高い建物を建てられるようにし、それで広い住宅に住めるようにしたらよかったでしょう
人々が怒りに身を任せてしまい、儲けた人への攻撃に向かってしまったため、そうした建設的な意見も通じず、景気を悪化させる方向へ進んでいってしまいました
最近も人々の怒りが集まっていることがよくあります
高齢者の運転で、母子が亡くなられた事件では、その高齢ドライバーの子供などにも、免許を取り上げなあったことが、まるで共犯のように批判される人もいます
そうした怒りを広めていっても、不幸が拡散されていくだけなのです
加害者の家族もさらに不幸になっていきますし、社会でも高齢者の免許をはく奪しようとする動きが出て、全体的に不便な世の中になっていくでしょう
先日も述べましたように、高齢者には自動ブレーキシステムや安全装備がある自動車専用の免許に切り替え、そうした車に乗らすようにした方がいいでしょう
そうすれば社会は便利さが増しますし、乗り換え需要による経済効果もあって景気も良くなりますし、売れれば自動車メーカーも益々開発が進みますので、安全性能はもっと高まっていくでしょう
こうした建設的な意見とならないのも、人々が怒りに身を任せてしまっていて、相手を焼いてしまうとともに、自分たちも焦がしてしまおうとする作用が働いているからです
ほんとうに世の中を、幸せで住みよい社会にしていくには、人々が怒りの思念をおさえて、もっと冷静に世の中のためになる方法を考えていかなくてはなりません
怒りや憎しみではなく、人々へのためを思う愛を持って考えていくべきです
2 件のコメント:
>怒りの炎は対象を焦がすとともに、自らも焦がしていってしまいます
今回は社会全体のことや、ある特定の思想や層への怒りについて述べていただいたと思いますが、対象が個人レベルでもこれは同じですよね?
実際に今、私がそうで、怒りで自分さえ燃やしていると感じるのです。
相手が個人の場合も、対処はやはり「発展的な解決」が良いのでしょうか?
私はとにかくなるべく会わない、できるだけ離れるという対処を取って、ようやく怒りの炎を鎮静化することができました。(ただ、火種は燻ってる気はします)
これは発展的な解決とは言えない気がしますが、これでいいのでしょうか?
怒りの思いはまず周りの人を攻撃しますが、実は同時に自分の体をも攻撃していきます。
怒りのエネルギーは身体中の細胞に行き届き、きちんと働いている細胞たちをわざわざ攻撃し、その働きを弱めてしまうのです。
だから、怒りっぽい人は高血圧だったり内臓の病気になりやすかったり寿命が短い傾向にある、などの報告もあります。
また、周りの人から怒りをぶつけられる人も、心や体を(目に見えない形で)傷付けられることになります。
怒りの思いは何も良いものを生まず、それどころか心も体も状況も悪化させていくだけですので、怒りをぶつけた自分までも、のちのち苦しい思いをする状況に追いやられます。
それがわかっている賢い人は、怒りよりも話し合いで・攻撃よりも歩み寄りで・どなるよりも思い切り笑ってユーモアで、周りの人たちとうまく協調しながら過ごしていきます。
神様の愛をきちんと理解して体現できる心の綺麗な稀有な人にのみ、その行動が可能となります。
怒りで動くのか、思いやりで動くのか。
それを見れば、その人が神様に愛される心の綺麗な人かどうかがわかってしまうのです。
そんな人になることが、この地球に生きる私たちの最終目標です。