人は誰しも、自分が正しくて、相手は間違っていると考えるものです
自分は正しいことを言っているのに、相手は理解せず、間違ったことを言っていると考えます
自分の意見は正しいと考え、間違っている相手を屈服させようとします
しかし、頭から自分が正しく、相手は間違っているととらわれていると、そこから学べなくなります
相手の中によい点を見出していこうとすることで、学びは得られます
対立する相手にも、よい所はどこかあるものです
どんな相手も自分より優れた点を持っています
ひとは自分と違うものから学び取っていくことで、成長していけます
人間は自分とは違った人たちとのかかわりの中で学びを得ます
まったく同じ考えの者同士で集まっていても、学びは少ないでしょう
私たちが天国から、この地上に生まれてくるのにもそうした意味があります
光の世界では、私たちは同じような者同士で集まり、共に暮らしています
同じような心境の者同士で、似たような思いを持っている者同士で集まっているのです
ですから、愛深い人は、愛の溢れた世界に帰り、嫉妬深い人は嫉妬の世界に落ち、憎しみ深い人は怒りの世界に落ちます
天国では調和された者同士で暮らし、同じような思いを持っている者同士で集まるのですが、心境のより高い人や、自分よりも劣る者とは出会わずに過ごします
すると、自分たちの考えが当たり前だと思って、その他の考えや価値観に疎くなり、学びも減っていってしまいます
そのため、いろんな心境や価値観を持った魂たちが、一堂に会する場所として、この地球に生まれてくるのです
多様な人々との人間関係の中でこそ、人は学び、考え、智慧を得ます
特に深い関わりのある人については、より深い学びを得られる対象です
彼らに出会ってこそ、私たちは学びを深め、魂を成長させていくことが出来ます
出会う人々が、私たちの師であるのです
それは反面教師であることもありますが、人と人とのかかわりの中で、魂を磨く経験をし、成長をしていくことが出来ます
人生の途上で出会った人々に、感謝できるようになりましょう
1 件のコメント:
私たちは、本当に正しいことを理解できていないからこそ、この地球でともに学び合いながら生きる修行をしています。
もしも本当に正しいことを理解できていたら、その人はもはや誰とも対立しません。
なぜなら、本当に正しいことを理解できている人は、どんなに酷い人とでも穏やかに話し合える人だからです。
そこまで至ってもいないのに、「オレが正しい、私が正しい」と叫ぶのは…まだまだ外側が見えていない(自分のことしか見えていない)ということになります。
本当に正しいこととは何か?
それを理解するにはどうしたらいいのか?
それは、自分中心のエゴを捨てて心を込めた思いやりで生きることによってのみ、理解できていきます。
それを実践すればもはや、人と対立することはなくなっていくからです(^-^)